常磐線勝田駅(2022年2月)
ひたちなか海浜鉄道湊線は勝田~阿字ヶ浦間を結ぶ路線です。その歴史は1907年(明治40年)に設立された湊鉄道にはじまります。1913年(大正2年)に勝田~那珂湊間、1924年(大正13年)に那珂湊~磯崎間、1928年(昭和3年)に磯崎~阿字ヶ浦間が開業し、全通しました。
阿字ヶ浦駅に留置されるキハ2005とキハ222(2022年2月)
湊鉄道はローカル私鉄として営業を続けてきたものの経営が苦しい状態が続いていました。1944年(昭和19年)、県内の鉄道会社などと合併して茨城交通湊線となりました。茨城交通は2008年(平成20年)、湊線を廃線とする意向を示したものの、その後の協議によりひたちなか市と茨城交通が出資する第三セクターにより湊線を継続することとなりました。
勝田駅に到着する湊線の車両(2017年1月)
苦戦を続けるひたちなか海浜鉄道ですが、2017年度の決算においては輸送人員が初めて100万人を超え、業績が向上します。その要因としては、第一に国営ひたち海浜公園への観光客輸送があげられます。
ひたち海浜公園のネモフィラ(2019年5月)
▼2010年(平成22年)、金上(かねあげ)駅において列車交換設備が追加設置され、勝田~那珂湊間の列車を増発した。▼2014年(平成26年)に中根~那珂湊間において高田の鉄橋駅を新設開業。▼2021年(令和3年)に平磯~磯崎間に美乃浜学園駅を開業。▼2024年度の開業を目指して、現在の終点である阿字ヶ浦からひたち海浜公園への延伸を計画している。▼延伸部分には3駅を設ける予定。 阿字ヶ浦駅に到着する列車(2022年2月) ▼湊線ではレトロな旧型ディーゼルカーも現役として活躍中。▼キハ11形は東海旅客鉄道(キハ11-5)および東海交通事業(キハ11-6,11-7)で使用されていた車両であり、2015年(平成27年)に3両を購入したものである。▼購入後に設備の一部の改造や塗装の変更が実施され、同年より営業運行を開始。▼この車両の導入とともに、キハ2004形の営業運行終了。 キハ11-5(2017年1月)
▼勝田駅は常磐線の駅であり、ひたちなか海浜鉄道湊線の起点。▼勝田駅は、水戸駅から那珂川を渡ってすぐ北にある駅である。▼常磐線特急「ときわ」の多くは勝田駅始発となり東京方面へ向かう。 金町駅付近を走行する常磐線特急(2023年7月)
▼勝田駅にはひたちなか海浜鉄道湊線の単独の改札口はなく、東京方面から勝田駅に到着した場合にはJRの改札口を出ずに1番線ホームよりひたちなか海浜鉄道湊線に乗り換えとなる。
ひたち海浜鉄道は1番線へ(2022年2月)
1番線ホームにはひたちなか海浜鉄道湊線の乗換口があり、ICカード簡易精算機でここまでのJRの運賃を精算する。▼左手に、ひたちなか海浜鉄道湊線の乗車券販売所があり、ここでひたちなか海浜鉄道湊線の乗車券を購入することができる。▼ひたちなか海浜鉄道湊線ではICカードは利用できない。
写真左:1番線湊線ホーム/右:2番線常磐線上りホーム(2022年2月)
▼那珂湊駅の車両基地にはいくつかの古い車両が留置されている。▼那珂湊駅の駅舎を出て、県道6号(水戸那珂湊線)を水戸方面へ少し歩いてから右脇道へ逸れると、再び湊線と合流する踏切の横に「キハ203」「ケハ601」の案内表示がある。 踏切横の案内表示(2022年2月) ▼踏切を渡って右に行くと、那珂湊駅の駅舎の反対側に出て、留置車両を近くで見ることができる。▼オレンジの車両は国鉄から鹿島臨海鉄道へ譲渡された後、茨城交通へと渡ってキハ203として湊線を走った車両。▼2006年(平成18年)に引退し、那珂湊駅に留置されている。 キハ203(2022年2月) ▼シルバーの車体「ケハ601」は車輪部分もない。▼1960年(昭和35年)に新たに製造されたシルバーの車体は、当時は画期的な日本初のステンレス車体の気動車だった。 ケハ601(2022年2月) ▼阿字ヶ浦駅に留置されるキハ222は、1962年(昭和37年)に製造されて北海道の羽幌(はぼろ)炭礦鉄道で活躍した。▼1970年(昭和45年)にこれが廃線になると、茨城交通へ譲渡されて湊線を走った後、2015年(平成27年)に引退。 キハ222(2022年2月)
▼ひたちなか海浜鉄道の駅名標はすてきだ。▼駅名標の駅名の漢字の中には、それぞれの駅の名物などをイメージしたイラストが描かれている。▼たとえば、その起点となる勝田駅の駅名標には、鉄道の車両と会社のロゴマークが描かれている。▼駅名標のオレンジ色はひたちなか海浜鉄道のシンボルカラー。
勝田駅駅名標(2022年2月)
▼これらは現代アートプロジェクト「みなとメディアミュージアム(MMM)」により制作されたアート作品である。
キハ222(2022年2月)
▼MMMとは「産+学+芸」の三者からなる実行委員会により運営されているグループであり、「産」とは那珂湊地区商店街、ひたちなか海浜鉄道湊線、「学」とは主に大学教員、大学院生、大学生、「芸」とはアーティストをさす。
那珂湊駅駅舎(2022年2月)
▼現在の「工機前駅」は1962年(昭和37年)、「日工前駅」として開業した。▼当時、日立工機従業員専用駅として開業したが、日立工機の社名が工機ホールディングスとなったため、2019年(令和元年)に「工機前駅」に変更された。▼駅名標には、工機ホールディングスが製造する工具が描かれ、「機」の字の一部は電気マークとなっている。
工機前駅駅名標(2022年2月)
▼金上(かねあげ)駅の近くには陸上自衛隊の勝田駐屯地があり、この辺りは桜の名所もあることから、その駅名標には桜と戦車が描かれている。
金上駅駅名標(2022年2月)
▼中根駅周辺は田園地帯が広がっている。▼7世紀前半頃の虎塚古墳があることから、その駅名標には矛(ほこ)と前方後円墳が描かれている。
中根駅駅名標(2022年2月)
▼高田の鉄橋駅は2014年(平成26年)に開業した比較的新しい駅。▼駅の近くを流れる川に架かる中丸川橋梁は通称「高田の鉄橋」とよばれてきた。▼駅名標にも鉄橋を電車が渡る様子が描かれている。
高田の鉄橋駅駅名標(2022年2月)
▼那珂湊駅の駅名標には、近くにある反射炉、那珂湊駅に保存される「日本初のステンレス製気動車ケハ601」、那珂湊駅の人気者である猫が描かれている。
那珂湊駅駅名標(2022年2月)
▼殿山駅の駅名標には、ひたちなか市の花であるハマギクの他、ケイトウの花の2種類が描かれている。
殿山駅駅名標(2022年2月)
▼平磯駅近くには海水浴場がある。▼平磯駅の駅名標には、平磯海水浴場のシンボルとなる「クジラの大ちゃん」と平磯海岸で見られる渡り鳥が描かれている。
平磯駅駅名標(2022年2月)
▼美乃浜学園駅は2021年(令和3年)に開業した新しい駅。▼その名の通り学校の最寄り駅となる。▼駅名標には、美しい海、学校名の語源となる万葉集の和歌、学校の屋上にあるソーラーパネル、地元の民謡にちなんだ三味線、近くの海岸に自生するスカシユリが描かれる。
美乃浜学園駅駅名標(2022年2月)
▼磯崎駅の近くに広がるサツマイモ畑と酒列磯崎(さかつらいそさき)神社。▼磯崎駅の駅名標にはサツマイモと酒、神社に祀られる少彦名命(すくなひこなのみこと)が描かれている。
磯崎駅駅名標(2022年2月)
▼阿字ヶ浦駅の駅名標には近くにある温泉と、海にちなんで釣り針と海藻、茨城名物「あんこう鍋」よりアンコウが描かれている。
阿字ヶ浦駅駅名標(2022年2月)
▼湊線(勝田~阿字ヶ浦間)の主要駅。▼1913年(大正2年)、湊鉄道の駅として開業。▼1944年(昭和19年)に茨城交通の駅となる。▼1998年(平成10年)に「歴史と伝統のある駅で開業当時の面影を残した駅」としてに関東の駅百選に選出される。
那珂湊駅舎(2022年2月)
▼現在の那珂湊駅も開業当時の雰囲気を醸し出す。これまでも映画やドラマ、CMなどの撮影に利用される。▼那珂湊は江戸時代より水運で栄えたまちであり、市中にも歴史ある建物などが残る。
那珂湊駅駅舎内(2022年2月)
▼山上門:那珂湊駅から徒歩5分。▼山上門は水戸藩江戸小石川邸正門右側の門であり、江戸時代後期に勅使奉迎のために設置された。▼小石川邸の建築物は山上門以外はすべて消失。▼その名前の由来は、後に小石川邸内の山上に移築されたことによる。▼山上門は本柱と控柱を結ぶ梁の中間に束をおき切妻屋根をのせた形であり、「薬医門」という江戸時代後期の典型的な屋敷門。▼1936年(昭和11年)に那珂湊出身の深作貞治が陸軍から払い下げを受け、ここに移築して保存した。▼1957年(昭和32年)に那珂湊市に寄贈される。
山上門(2022年2月)
▼茨城県指定史跡「那珂湊反射炉」は山上門のすぐ近くにある。▼この反射炉(大型の金属溶解炉)は1937年(昭和12年)にほぼ原型通りに復元された模型。
那珂湊反射炉(2022年2月)
▼幕末には、那珂湊沖にも異国船が出現。▼水戸藩主・徳川斉昭が「海防の要」を唱えて領内に砲台を建設するために、大砲の鋳造を目的としてここに反射炉をつくる。
那珂湊反射炉(2022年2月)
▼1855年(安政2年)に1号炉、1857年(安政4年)に2号炉が完成。▼1864年(元治元年)の天狗党の乱(元治甲子の乱)で壊される。
那珂湊反射炉(2022年2月)
▼反射炉建設にあたっては高熱に耐える煉瓦の製造が必要となる。▼そうした煉瓦を焼成するために築かれた登り窯(煉瓦焼成窯)の復元模型が反射炉の近くにある。
煉瓦焼成窯(2022年2月)