北海道新幹線[JR北海道]

投稿者: | 2019-05-19

1.幌内鉄道 2.函館本線と千歳線 Θ室蘭本線と東室蘭駅Θ Θ731系電車Θ Θ千歳線支線(空港線)Θ 3.特急「カムイ」 4.特急「北斗」 5.釧網本線・網走本線とふるさと銀河線 Θ釧路駅Θ 6.特急「おおぞら」 7.釧路湿原 8.北海道新幹線・はこだてライナーと道南いさりび鉄道

 

特急「スーパー北斗」(2019年10月)


幌内鉄道

幌内鉄道は1880年(明治13年)に北海道で初めての鉄道敷設工事に着手し、同年H・K・ポーター社(アメリカ)製の蒸気機関車の試運転を実現しています。H・K・ポーター社は1866年に創業したアメリカの機関車製造会社であり、これが初めてアメリカから蒸気機関車を輸入した事例となりました。

 

京都鉄道博物館に保存される「義経号」(2019年1月)

 

北海道を走る蒸気機関車はアメリカから輸入されたものですが、北海道の近代化についてもアメリカの開拓をモデルとして進められることになりました。このとき、幌内鉄道の建設を指導したのがアメリカ人技師のジョセフ・ユーリー・クロフォードでした。ジョセフ・ユーリー・クロフォードは1879年(明治12年)に張碓(はりうす)海岸の道路開削に成功したことから、1880年(明治13年)に幌内鉄道の建設を任されることになりました。

 

札幌駅駅舎(2019年10月)

 

幌内鉄道は着工からわずか11か月で手宮~札幌間を開通し、「義経号」と名付けられた1号機、「弁慶号」と名付けられた2号機がここで運転されました。以後「比羅夫号」「光圀号」「信廣号」「静号」などと愛称が付された蒸気機関車が幌内鉄道を走ることとなります。数々の難工事を乗り越えた幌内鉄道は1882年(明治15年)に手宮~幌内間を全通させています。それ以降の約100年にわたり、幌内鉄道は石炭輸送を担ってきました。

 

京都鉄道博物館に保存される「義経号」(2019年1月)


函館本線と千歳線

函館本線は北海道初の鉄道となった幌内鉄道(手宮~幌内間)でした。幌内鉄道は1880年(明治13年)に手宮~札幌間が開業(全通は1882年)した石炭運搬路線であり、後に官営の幌内鉄道から民間の北海道炭礦鉄道に引き継がれました。

 

京都鉄道博物館に展示される北海道炭礦鉄道の説明(2019年1月)

 

その後、北海道炭礦鉄道はこの路線に次いで、第二の石炭運搬路線として室蘭(現在の東室蘭)~岩見沢~空知太(そらちぶと/現在は廃止=現在の砂川市)間を開通させました。この第二の路線の開通により手宮~岩見沢~空知太が直通し、現在の函館本線の基礎ができあがり、また室蘭(現在の東室蘭)~岩見沢間のルートは室蘭本線の基礎となりました。

 

札幌駅の行先表示案内(2019年10月)

 

1898年(明治31年)になると、すでに施行されていた北海道鉄道敷設法に基いて、北海道庁が空知太~旭川間を開通し、上川線(かみかわせん)と称しました。その後、民間の北海道鉄道(初代)が1902年(明治35年)に函館(初代)~本郷(現在の新函館北斗)間、1903年(明治36年)に本郷(現在の新函館北斗)~森間を開業させ、北海道内の路線の延伸を果たしていきます。さらに、北海道鉄道(初代)は1904年(明治37年)、函館(初代)~函館(2代)を延伸開業させ、函館駅(初代)を亀田駅(現在は廃止)と改称しました。これにより、現在の北海道内における重要路線となる函館~旭川間が開通したことになります。1905年(明治38年)には北海道庁が開業した上川線(空知太~旭川)、翌年には北海道炭礦鉄道、1907年(明治40年)には北海道鉄道(初代)がそれぞれ国有化されました。これにより函館~小樽~旭川間は国有鉄道となり、1909年(明治42年)に函館本線と命名されました。1908年(明治41年)には青函連絡船が就航していますが、函館本線はこれと接続して運行されることになり、このとき本州へと連絡しています。

 

特急「カムイ」と並ぶ函館本線の普通列車(2019年10月)

 

北海道と本州の結びつきが強くなると函館本線は盛況となり、函館本線のバイパス路線としての長万部~輪西(現在の東室蘭)間となる長輪線(おさわせん)を1928年(昭和3年)までに全通し、すでに開通していた室蘭本線(室蘭~岩見沢間)と接続しています。

 

室蘭本線と東室蘭駅

室蘭本線は長万部~東室蘭~苫小牧~追分~岩見沢間を結ぶ路線(本線)とその支線となる東室蘭~室蘭間を結ぶ路線から成ります。このうち、長万部~沼ノ端間は千歳線(沼ノ端~札幌)と合わせて北海道内の重要幹線として機能しています。室蘭本線の東室蘭駅の駅名は、1892年(明治25年)の開業当時は「室蘭駅」でしたが、1897年(明治30年)には「輪西駅」となりました。1928年(昭和3年)に「東輪西駅」と改称され、1931年(昭和6年)に現在の「東室蘭駅」の名称となりました。

 

札幌駅駅舎(2019年10月)

 

 

長輪線の全通に先立ち、1926年(大正15年)には北海道鉄道(2代)が室蘭本線の沼ノ端(ぬまのはた/現在の千歳線の起点)~函館本線の苗穂(現在の千歳線の終点)間(札幌線)を開業させています。これが後に現在の千歳線となっています。

 

731系電車

この函館本線や千歳線で運行される731系はJR北海道として初めての本格的な通勤形車両であり、1996年(平成8年)に投入されました。車体の側面にはライトグリーンと赤色の帯が配されています。

 

731系車両(2016年12月)

 

千歳線支線(空港線)

千歳線の南千歳駅は1980年(昭和55年)に当時の国鉄千歳線千歳空港駅として開業し、翌年には石勝線が開業してその起点となりました。その後、航空需要の拡大にともない新千歳空港が建設されることとなり、1992年(平成4年)には新千歳空港駅が開業して、千歳空港駅は南千歳駅と改称しました。

 

南千歳駅駅名標(2016年12月)

 


特急「カムイ」

「かむい」は「神のように崇高な存在」という意味を表すアイヌ語ですが、特急「カムイ」は札幌~岩見沢~美唄~砂川~滝川~旭川間を結ぶ特急列車です。

 

特急「カムイ」(2019年10月)

 

かむい」と名付けられた列車は1959年(昭和34年)に登場しましたが、このときは小樽~旭川・上芦別(かみあしべつ)間を結ぶ準急列車でした。

 

旭川行きの特急「カムイ」(2019年10月)

 

1966年(昭和41年)には急行列車へと格上げされ、1988年(昭和63年)まで運行を続け、後の特急「スーパーカムイ」のルーツとなりました。

 

特急「カムイ」(2019年10月)


特急「北斗」

特急「北斗」函館本線室蘭本線千歳線を経由する函館~札幌間を結ぶ特急列車であり、1965年(昭和40年)に函館~旭川間において運行を開始したのがそのはじまりです。しかし、1972年(昭和47年)にはすべての「北斗」の運行区間が函館~旭川間に短縮されてしまいます。

 

特急「スーパー北斗」281系(2019年10月)

 

主要な「北斗」の停車駅は、函館、五稜郭、新函館北斗、大沼公園、森、八雲、長万部、洞爺、伊達紋別、東室蘭、登別、白老、苫小牧、南千歳、千歳、新札幌、札幌です。

 

札幌駅の行先案内板(2019年10月)

 

北斗」の運行には183系が用いられましたが、1994年(平成6年)に281系が投入されるようになると、183系を使用する列車と臨時列車を「北斗」とし、281系および261系を使用する列車を「スーパー北斗」としました。

 

札幌駅に停車する「函館行き」スーパー北斗(2019年10月)

 

2018年(平成30年)以降は183系が定期運用されなくなり、2020年(令和2年)からは「スーパー北斗」の名称が廃止となり、すべてが「北斗」となりました。


釧網本線・網走本線とふるさと銀河線

釧網本線は、太平洋沿岸にある釧路とオホーツク海沿岸にある網走を結ぶ目的で敷設された路線です。釧路側では釧網線(現在の釧網本線)として開業し、網走側では網走本線の延長として開業しました。

 

釧路駅

「釧路」の名は諸説あるもののアイヌ語に漢字を充てたものに由来すると考えられており、1869年(明治2年)に「クスリ」より釧路と改称されました。

 

釧路駅周辺の風景(2019年9月)

 

釧路駅(初代/後の浜釧路駅)は1901年(明治34年)、北海道官設鉄道釧路線の釧路~白糠(しらぬか)間の開通の際に開業しました。1913年(大正2年)には線名改称によって釧路本線の駅となっています。

 

釧路駅の行先表示板(2019年9月)

 

その後、1917年(大正6年)に釧路~浜厚岸間が延伸開業したことにともない、釧路駅(2代)は現在地に移転し、釧路駅(初代)は浜釧路駅(後に廃止)となりました。1921年(大正10年)には線名改称によって根室本線の駅となっています。

 

釧路駅(2019年9月)

 

根室本線は滝川~根室間を結ぶ路線であり、1921年(大正10年)に開通しています。現在では「花咲線」の愛称が付されていて、終点となる根室駅は1961年(昭和36年)に東根室駅が開業するまでは日本の最東端の駅となっていました。

 

また、1923年(大正12年)には雄別鉄道(釧路~雄別炭山間/1970年廃止)、1927年(昭和2年)には現在の釧網本線(釧路~標茶間)が開業して接続駅となりました。路線の一部となる標茶~弟子屈(後の摩周)間は1896年(明治29年)に廃止となっていた釧路鉄道の旧路盤を利用しています。1931年(昭和6年)には最終区間となる川湯(現在の川湯温泉)~札鶴(現在の札弦)が開通し、さらに釧網線(現在の釧網本線)に網走以東の網走本線を編入して全通となりました。しかしながら、網走は小さな都市であり人の流入がそれほど多くないにもかかわらず、釧網本線、網走本線(後の池北線と石北本線)が乗り入れることになりました。釧網本線は人口の少ない地域を走っていたので存亡が危ぶまれたこともありましたが、沿線には釧路湿原や摩周湖、川湯温泉、屈斜路湖、知床などの有名な観光地を抱えていたので、特急列車が走らずとも生き残った路線といえます。

 

1961年(昭和36年)には線路名称の変更が実施され、網走本線として残っていた網走~北見間は石北本線の一部となり、北見~池田間は池北線となりました。池北線はその後北海道ちほく高原鉄道に引き継がれてふるさと銀河線となり、2006年(平成18年)に廃止となりました。北海道ちほく高原鉄道とは1989年(平成元年)に設立され、2006年(平成18年)までふるさと銀河線を運営していた第三セクターの鉄道会社です。『ふるさと銀河線 軌道春秋』(髙田郁著)に収められている「ふるさと銀河線」には、この北海道の大地を走ったふるさと銀河線の当時の様子を垣間見ることができます。たとえば、「駅の時刻表に記された発車時刻は数えるほどで、それも通勤・通学の時間帯にほぼ限られる。」「車両は大抵一両編成で、北見から池田まで全長百四十キロメートルをひたすらに走る。その長い鉄路にトンネルはひとつもなく、車掌には、ある時は広々とした牧場、ある時は原生林、と日本離れした情景が広がる。」などです。


特急「おおぞら」

特急「スーパーおおぞら」(現在は「おおぞら」)は札幌~南千歳~新夕張~新得~帯広~釧路を結ぶ特急列車であり、283系および261系により運行されています。

 

スーパーおおぞら283系(2019年10月)

 

帯広駅

帯広駅は特急「スーパーおおぞら」をはじめとしてすべての列車が停車する駅となっている他、特急「スーパーとかち」の始発終着駅ともなっています。帯広駅は1905年(明治38年)に当時の釧路線(後の根室本線)の駅として開業しています。

 

帯広駅(2019年10月)

 

 

283系は振子式特急ですが、その配色はブルーとグリーンに加えて、これにタンチョウヅルの赤を組み合わせています。

 

283系の3色(2019年10月)

 

特急「スーパーおおぞら」の前身となる特急「おおぞら」が登場したのは1961年(昭和36年)のことであり、函館~旭川間を走る北海道初の特急としてデビューしました。1962年(昭和37年)には釧路発着編成を連結することになり、1967年(昭和42年)には函館~釧路間の運行となりました。

 

特急「スーパーおおぞら」(2019年10月)

 

その後、「おおとり」「北斗」「まりも」などとの整理統合を繰り返し、1997年(平成9年)には283系気動車を投入した特急「スーパーおおぞら」が誕生しました。

 

特急「スーパーおおぞら」(2019年10月)

 

2020年(令和2年)に「スーパーおおぞら」は再び「おおぞら」へと改称されています。

 

特急「スーパーおおぞら」(2019年10月)


釧路湿原

釧路湿原駅釧網本線の臨時駅として1988(昭和63年)に開業し、1996年(平成8年)に常設駅に昇格しました。

 

釧路湿原駅駅舎(2019年10月)

 

釧路湿原の最寄り駅であり、1面1線単式ホームとなっています。

 

釧路湿原駅ホーム(2019年10月)

 

釧路湿原駅には釧網本線を走る快速「しれとこ摩周号」が停車します。ただし、釧路行きは通年停車しますが、網走行きは5月~10月の期間のみしか停車しません。

 

快速「しれとこ摩周号」(2019年10月)

 

釧路湿原は釧路平野にあり、日本における湿原の3割を占める日本最大の湿原です。

 

細岡展望台から見た釧路湿原(2019年10月)

 

その面積は約2万9千ヘクタールにもおよび、釧路市、釧路町、標茶町、鶴居村の4市町村にまたがっています。

 

細岡展望台から見た釧路湿原(2019年10月)

 

細岡展望台釧路湿原の東側にある展望台であり、雄阿寒岳と雌阿寒岳の稜線を背景として釧路湿原の中を釧路川が蛇行する様子を見ることができます。

 

細岡展望台案内図(2019年10月)

 

細岡展望台釧網本線釧路湿原駅から徒歩10分ほどのところにあります。

 

釧網本線を走る快速列車(2019年10月)

 

釧路市湿原展望台へは釧路駅よりバスに乗車し、30分ほどで到着します。

 

釧路市湿原展望台からの風景(2019年10月)

 

展望台の建物の2階には展示室があり、3階の展望室、屋上からは釧路湿原の風景を見ることができます。

 

釧路市湿原展望台からの風景(2019年10月)


北海道新幹線・はこだてライナーと道南いさりび鉄道

2016年(平成28年)、北海道新幹線新青森~新函館北斗間が開業しました。この開業と同時に、渡島大野(おしまおおの)駅は新函館北斗駅と改称されました。北海道新幹線で使用されるH5系E5系車両をベースとして製作されています。なお、札幌までの延伸については、2015年(平成27年)の段階では2030年(令和12年)度末の完成を目指すとされています。

 

仙台駅で並んだ緑色のE5系と赤色のE6系(2016年12月)

 

北海道新幹線の現在の終着駅となる新函館北斗と函館の間を結ぶはこだてライナーは2016年(平成28年)、北海道新幹線へのアクセス鉄道として運行を開始しました。

 

はこだてライナー(2019年10月)

 

普通列車は函館、五稜郭、桔梗、大中山、七飯、新函館北斗と結びますが、快速列車の途中の停車駅は五稜郭のみとなっています。

 

函館駅に停車するはこだてライナー(2019年10月)

 

その最速列車は函館~新函館北斗間を15分で結びます。はこだてライナーのすべての列車は733系で運行されています。

 

はこだてライナー(2019年10月)

 

北海道新幹線の開業により、江差線の五稜郭~木古内(きこない)間北海道新幹線の並行在来線となり、JR北海道より経営分離されました。これにより、この路線は第三セクターとして設立された道南いさりび鉄道へと移行されました。

 

函館駅に停車する道南いさりび鉄道の車両(2019年10月)

 

その運行にはJR北海道より譲渡されたキハ40形があたります。これを改装したながまれ号が活躍しています。

 

側面に「ながまれ」の文字が描かれる(2019年10月)

 

「ながまれ」とは道南地域の方言で「ゆっくりして」「のんびりして」という意味になるそうです。

 

道南いさりび鉄道「ながまれ号」(2019年10月)

 

通常は通勤や通学などの一般客が利用する列車として運行していますが、観光団体用として車内で食事ができるようにテーブルやヘッドレストを設置した特別仕様車に変更することもできます。

 

函館駅に停車する道南いさりび鉄道の車両(2019年10月)


トワイライトエクスプレス

1.トワイライトエクスプレスの誕生と引退 2.トワイライトエクスプレスの牽引車 3.トワイライトエクスプレスの客車 4.トワイライトエクスプレスの編成 5.新しいトワイライトエクスプレス「瑞風」

 

トワイライトエクスプレスを牽引していた機関車EF81形(2019年1月)


トワイライトエクスプレスの誕生と引退

「トワイライトエクスプレス」という列車名は、発車する日の夕方と翌日の明け方における日本海の眺望を楽しむというところに由来します。JR西日本とJR北海道大阪~札幌間において共同で運行し、その走行距離は1,500キロにも及んでおり、運行当時は日本一長距離を走る寝台特急となっていました。

 

トワイライトエクスプレスのエンブレム(2019年1月)

 

トワイライトエクスプレスは、東海道本線、湖西線北陸本線、信越本線、羽越本線、奥羽本線、津軽線、海峡線、江差線、函館本線、室蘭本線、千歳線経由の運行ルートとなります。このうち、函館本線では七飯(ななえ)~大沼間、大沼~森間の2区間でそれぞれ線路が2線に分岐します。下りが藤城線(七飯~大沼)、駒ヶ岳回り(大沼→大沼公園→赤井川→駒ヶ岳→東山→姫川→森)経由、上りが砂原回り(森→東森→尾白内→掛澗→渡島砂原→渡島沼尻→鹿部→銚子口→流山温泉→池田園→大沼)経由となっていました。たとえば、下り列車の場合、大阪を出発した後、新大阪京都敦賀、福井、金沢、高岡、富山、直江津、長岡、新津、洞爺、東室蘭、登別、苫小牧、南千歳、札幌の順に停車します。

 

京都鉄道博物館に展示されるトワイライトエクスプレス(2019年1月)

 

トワイライトエクスプレスは2015年(平成27年)にその役割を終えます。その後、期間限定で全客室スイート・ロイヤルの「特別なトワイライトエクスプレス」として運行されてきましたが、2016年(平成28年)をもって完全に引退しました。

 

京都鉄道博物館に展示されるトワイライトエクスプレスの車両(2019年1月)

 

大阪~札幌間を結ぶ寝台特急「トワイライトエクスプレス」がデビューしたのは1989年(平成元年)のことでした。青函トンネルが開通した翌年7月に1編成が投入されましたが、団体専用の臨時列車であったため時刻表には掲載されていませんでした。この1編成により、火曜日・金曜日は大阪発、水曜日・土曜日は札幌発の週2回往復となっていました。同年12月になると、もう1編成が投入されることとなり、週4回往復の臨時特急列車へと変更されて時刻表にも掲載されることになりました。さらに、2年後には3編成目が投入され、その完全引退まで臨時特急列車として運行し続けました。


トワイライトエクスプレスの牽引車

大阪~青森間において、トワイライトエクスプレスの客車を牽引していたのがEF81形交直流電気機関車です。この機関車はトワイライトエクスプレスカラーに塗装されており、異なる3種類の電力に対応するようにできています。

 

トワイライトエクスプレスの牽引機関車EF81(2019年1月)

 

大阪敦賀間の直流1500ボルト、敦賀~糸魚川間の交流2万ボルト(50ヘルツ)、糸魚川~村上間の直流1500ボルト、村上~青森信号場間の交流2万ボルト(50ヘルツ)にそれぞれ対応し、直流の区間では2,550キロワット、交流の区間では2,370キロワットの力を発揮します。また、青森~五稜郭間においてはED79形交流電気機関車、五稜郭~札幌間はDD51形ディーゼル機関車にそれぞれ牽引車は交替していました。


トワイライトエクスプレスの客車

トワイライトエクスプレスの客車は寝台特急の主力である24系客車が使用されていましたが、トワイライトエクスプレスの客車内は大幅な改造が加えられていました。個室寝台が付いている客車はその台車以外はほとんどといってもよいほど改造が加えられています。

 

吹田総合車両所で公開された24系客車(2016年10月)
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24系客車は1973年(昭和48年)に登場しています。動力装置は付属しておらず、機関車に牽引される形で運行されます。車内で必要となる電力については電源車から供給されるため、牽引する機関車に電源装置が付属してなくても問題ありません。

 

吹田総合車両所で公開された24系客車(2016年10月)

 

24系客車は元来、揺れの少ない設計となっている他、制動力も優れていることからどのような機関車が牽引しても安定した走行を実現できるとされています。

 

吹田総合車両所で公開された24系客車(2016年10月)
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厳しい冬の北海道に乗り入れる場合に備えて、車両は通常に比べて断熱材を増やしている他、暖房を強力にし、扉は元来の折れ戸から凍結しにくい引き戸に変更しています。また、外部の塗装についても、24系客車はもともとの青色塗装から、緑色に黄色の帯を施したものに変更しており、いわゆる「ブルートレイン」とは一線を画す車両となっています。

 

吹田総合車両所で公開された24系客車(2016年10月)
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その深い緑色は日本海をイメージしたもの、黄色はトワイライトを表したものとなっています。そして、その贅沢な車内設備はトワイライトエクスプレスの最大の魅力となっていました。

 

吹田総合車両所で公開された24系客車(2016年10月)
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トワイライトエクスプレスの編成

トワイライトエクスプレスの編成は、

 

1号車:スロネフ25形=A個室(スイートルーム・ロイヤルルーム)
2号車:スロネ25形=A個室(スイートルーム・ロイヤルルーム)
3号車:スシ24形=食堂車「ダイナープレヤデス」
4号車:オハ25形=サロンカー「サロン・デュ・ノール」(自販機・シャワー室・電話)
5号車:オハネ25形=B個室(ツインルーム・シングルツイン)
6号車:オハネ25形=B個室(ツインルーム・シングルツイン)
7号車:オハネ25形=B個室(ツインルーム)・ミニサロン(自販機・電話)
8号車:オハネ25形=Bコンパートメント
9号車:オハネフ25形=Bコンパートメント
電源車:カニ24形=電源用発電機・荷物室

 

のようになっています。トワイライトエクスプレスの特徴といえば「個室」であり、「鉄道の旅を満喫する」をコンセプトとしています。1号車・2号車と5号車~9号車までの「個室」によりプライベート空間を演出し、3号車の食堂車では豪華な食事を提供する、そして4号車のサロンでは気軽にくつろぐことができるように工夫されており、その編成は絶妙なものとなっています。

 

A個室(2019年1月)

 

1号車となる「スロネフ25形501号車」は1976年(昭和51年)に富士重工業で製造された車両であり、全長21.30メートル、重量41.0トンとなっています。1989年(平成元年)に改造され、トワイライトエクスプレスにおいては最も豪華な設備をもつ車両となりました。

 

京都鉄道博物館に展示されるスロネフ25形(2019年1月)

 

車両の一角から景色を占有できるスイートルームや大型のベッド、ソファが設置されたロイヤルルームが設置されています。この1両に5部屋しかなく、定員はわずか6人でした。

 

京都鉄道博物館に展示されるスロネフ25形(2019年1月)

 

食堂車となる「スシ24形1号車」は1972年(昭和47年)に近畿車輌で製造された車両であり、全長は20.50メートル、重量38.5トンとなっています。特急型交直流電車の食堂車サシ489形3号車を1988年(昭和63年)に改造し、トワイライトエクスプレスにおいては食堂車「ダイナープレヤデス」として使用されました。その内装にはステンドグラス、電動シェード、絨毯などが施され、高級感のある車内ではフランス料理を食べることができました。

 

京都鉄道博物館に展示されるスシ24形(2019年1月)


新しいトワイライトエクスプレス「瑞風」

トワイライトエクスプレスの車窓の風景をはじめとするその伝統と誇りは、2017年(平成29年)より「トワイライトエクスプレス瑞風(みずかぜ)」に引き継がれました。「瑞風」という列車名は、みずみずしい風、吉兆をあらわすおめでたい風という意味をもつ言葉から、稲穂が豊かに実る「瑞穂の国」に幸せを運んでくる風をイメージしています。

 

京都駅0番線のりばに掲示される瑞風の案内(2017年6月)

 

瑞風は10両編成となっていますが、その定員はわずか30名ほどです。1両あたり1室しかない最上級の個室もあり、以前の「トワイライトエクスプレス」よりも贅沢な旅となります。

 

京都駅の足元案内表示(2017年6月)

▼森繁久彌作詞「知床旅情」は、「知床の岬に はまなすの咲くころ 思い出しておくれ 俺たちのことを 飲んで騒いで 丘にのぼれば 遥か国後に 白夜は明ける」とある。▼ハマナスの花はバラ科の落葉低木。▼北海道の浜辺などに多く咲き、主に海岸の砂地に咲く花。▼北海道には群生地も多くあり、北海道の花にも指定されている。▼北海道でも最もポピュラーな花といえる。▼その花にちなんだ「はまなす」という列車名が初めて使用されたのは、1955年(昭和30年)に運行が開始された準急列車。▼準急「はまなす」は函館本線・石北本線を経由して函館~網走間を結んでいた。▼「準急」という列車種別は、現在では全国の私鉄などで多く利用されている。▼国鉄でも、準急列車を運行していた時代がある。▼そのはじまりは1926年(大正15年)に遡る。▼東海道本線東京~名古屋間、名古屋~神戸間に設定されたのが最初だった。

東京駅(2019年3月)

▼国鉄の準急列車は、戦前と戦後においてはその性格に違いがある。▼戦前の準急列車は運賃だけで乗ることができたが、戦後の準急列車は別途準急料金が必要となった。▼つまり、戦前の準急列車は、現在でいうところの快速電車といえる。▼しかし、準急列車は日本が戦争へと進んでいく中、1937年(昭和12年)に廃止された。

京都駅を出発する快速電車(2019年1月)

▼終戦後、1946年(昭和21年)に準急列車は再登場。▼このときから準急料金が必要となる。▼その設備や車両などにおいて急行列車に劣るということから、「急行列車」ではなく「準急列車」として優等列車の一つとなった。▼1947年(昭和22年)に廃止された一時期があったが、準急列車は比較的近距離における区間の輸送において、急行列車を補う形でその役割を果たすようになった。▼1966年(昭和41年)になると、準急料金と急行料金は同じ距離の場合は同額となり、営業キロ数が100キロを超える場合はすべて急行列車へと格上げされるようになった。

2017年1月

▼昭和40年代になると、急行列車は準急列車を統合して、全国的に多くの急行列車が走るようになる。▼国鉄時代、急行列車は特急列車に比べると安価で利用できたことから、多くの人にとって身近な存在だった。▼急行「はまなす」が誕生したのは、1988年(昭和63年)3月13日のダイヤ改正においてのこと。▼その日は青函トンネルが誕生した日でもあり、また寝台特急「北斗星」が誕生した日であった。

急行「はまなす」青森行き(2016年12月)

▼JR旅客営業規則によると、「急行列車とは特別急行列車及び普通急行列車をいう」とある。▼特別急行列車がいわゆる「特急」であり、普通急行列車が「急行」ということ。▼それ以外の列車は普通列車ということになる。▼急行列車に急行料金が必要だが、特急料金よりも安く設定されている。一方で、特急に比べると、速達性という点においては停車駅が多いため、特急より劣り、その設備や車両および車内サービスにおいても特急ほどではない。

南海電車特急「りんかん」(2019年12月)

▼準急「はまなす」は1961年(昭和36年)に急行に格上げされ、その運行区間も札幌・旭川~網走となった。▼しかし、1968年(昭和43年)には石北本線の急行はすべて「大雪」に統合され、「はまなす」の列車名は姿を消した。▼月日が流れて、青函トンネル開業に向けて準備が進む中、津軽海峡線を運行する列車の愛称が公募された。▼その結果、寝台特急「北斗星」、急行「はまなす」、快速「海峡」の名が採用された。▼急行「はまなす」は青森~札幌間を結ぶ急行列車として、新たにその歴史を刻むことになる。

急行「はまなす」のトレインマーク(2016年12月)

▼「はまなす」のトレインマークは北海道の代表的な花であるハマナスが3つ描かれている。▼これにちなんで「はまなす」の魅力を3つ考えてみる。▼一つめの魅力は、車両編成がユニークであること。▼2段式のB寝台(1991年以降)、ドリームカー(1993年以降)、のびのびカーペットカー(1997年以降)などが連結される。▼「はまなす」は約480キロ(営業キロ)を約7時間40分(廃止時)の長い時間をかけて走行するので、ゆったりと休息できる車両の人気が高い。B寝台のカーテンで仕切られた空間は2段式の寝台となっていて、現在の寝台特急の個室寝台に比べるとプライベート空間を完全に確保できるものではないが、「昭和」を感じるための演出としては十分だといえる。ドリームカーのシートは、前後のシートとの間隔が少し広くなっているため、長い時間の乗車にもリラックスして過ごすことができる。リクライニングの角度についても、シートを大きく倒すことができるので、横になるような感覚で座ることができる。のびのびカーペットカーは上下2段式になっていて、上段は窓側に沿ってベッドが平行に設置されていて、個室のようなスペースが生み出されている。下段は窓に対して垂直に寝るような形となり、隣の人との境には簡易的な仕切りとしてカーテンが設置されている。一人ひとりに枕と毛布が用意される。

急行「はまなす」牽引車(2016年12月)

二つめの魅力は、一世を風靡したブルートレインなどによる往年の旅の郷愁を感じることができるということ。▼「ブルートレイン」とは青色がその車体の特徴である客車を使用した寝台列車の愛称である。はまなす」も機関車の牽引により客車列車として運行されている。また、B寝台を連結する列車としては「最後の列車」となった。

三つめの魅力は、「青函トンネルの父」である青函連絡船の名残をとどめる列車であるということ。かつて青函連絡船には、夜遅くに青森を出航し、早朝函館に到着する便があったが、これは上野から特急を乗り継いで来た人々が北海道へ渡るためのものでだった。▼「はまなす」は、これを補う形で生まれた夜行列車であるともいえる。また、のびのびカーペットカーの下段スペースは、なんとなく青函連絡船の室内を思わせる雰囲気がある。

深夜に出発する「はまなす」は津軽線・海峡線・江差線・函館本線・室蘭本線・千歳線を経由して運行される。ただし、函館本線の七飯~森間は上下線でルートが異なり、上り列車は砂原線~渡島砂原経由となり、下り列車は藤城線~駒ケ岳経由となる。主な途中駅は函館、長万部、東室蘭、苫小牧、南千歳。

札幌駅の発着案内表示(2016年12月)

▼こうして歴史を刻んできた「はまなす」だが、北海道新幹線が開通した2016年(平成28年)3月26日に先立ち、3月21日の下り列車をもって28年の歴史に幕を閉じた。


幣舞橋(2019年10月)


釧路川(2019年10月)