1.御堂筋と地下鉄第1号線建設工事 2.地下鉄第1号線の延伸 3.北大阪急行電鉄の誕生と延伸
御堂筋と地下鉄第1号線建設工事
御堂筋の拡幅工事は大正時代に計画されたものです。1926年(大正15年)より都市計画道路として現在の御堂筋建設工事がはじまり、1930年(昭和5年)より地下鉄第1号線(後の御堂筋線)の工事がはじまりました。そして、1937年(昭和12年)には長さ4キロメートル、幅44メートルの大幹線道路として完成しました。現在に至るまで徹底して景観にこだわり、沿道にはイチョウ並木が植えられ、ビルには高さ制限が設けられました。その御堂筋の地下にはわが国で2番目となる地下鉄が通り、現在では大阪が世界に誇るメインストリートへと成長しています。
梅田阪急ビルから見た御堂筋(2018年7月)
地下鉄第1号線の梅田~心斎橋間が開業したのは1933年(昭和8年)です。このときの梅田駅は仮駅としての開業でした。1935年(昭和10年)になると梅田駅が本駅となり、さらに心斎橋~難波間、1938年(昭和13年)には難波~天王寺間が延伸開業しています。
【心斎橋】
心斎橋は、現在は長堀川が埋め立てられて長堀通となっている場所に架けられていた橋です。今は橋はなくなってしまっているので、この辺り一帯の繁華街を「心斎橋」とよんでいます。
かつて心斎橋のあった場所(2018年7月)
地下鉄第1号線の延伸
戦時中にはその工事を一時中断したこともありましたが、地下鉄網は順調に拡大していきます。地下鉄第1号線の工事も再開し、1951年(昭和26年)には天王寺~昭和町間、1952年(昭和27年)には昭和町~西田辺間、1960年(昭和35年)には西田辺~我孫子間、1964年(昭和39年)には新大阪~梅田間が開業しました。
大阪市営交通創業70周年記念切符
(左)開業当時の電車のイラスト(右)1973年の御堂筋線の車両
1969年(昭和44年)にはこの路線の愛称は「御堂筋線」と命名されることになりました。その後、1970年(昭和45年)には江坂~新大阪間が開業し、北大阪急行電鉄との相互直通運転を開始します。
大阪市営交通創業75周年記念切符
北大阪急行電鉄の誕生と延伸
北大阪急行電鉄は1967年(昭和42年)、京阪神急行電鉄(後の阪急電鉄)の子会社として設立されました。1970年(昭和45年)に開催された日本万国博覧会(大阪万博)へのアクセス鉄道として、北大阪急行電鉄は江坂~千里中央(仮駅)~万国博中央口間(南北線・会場線)を開業しています。日本万国博覧会(大阪万博)終了後、千里中央(仮駅)~万国博中央口間(会場線)は廃線となり、その廃線跡の地上部分は高速道路となり、地下部分は資材置場として利用されています。また、会場線の廃線後、南北線は千里中央駅の本駅(現在の千里中央駅)と江坂を結ぶ路線としての営業となり、御堂筋線との直通運転を実施しています。南北線の延伸については、2017年(平成29年)に着工し、2020年度中の開業を目指しています。2018年(平成30年)には、途中駅の名称を「箕面船場駅(仮称)」から「箕面船場阪大前駅」、終点駅の名称を「新箕面駅(仮称)」から「箕面萱野(みのおかやの)駅」としています。