敦賀港駅
敦賀港駅は1882年(明治15年)、金ヶ崎駅として開業しました。
敦賀港の景色(2016年10月)

1897年(明治30年)には旅客営業が廃止となり金ヶ崎貨物取扱所となりますが、1908年(明治41年)には再度金ヶ崎駅となりました。その後、1919年(大正8年)に敦賀港駅と改称しています。
敦賀港の景色(2016年10月)

敦賀港駅は1900年代のはじめには日本と大陸を結ぶ懸け橋として栄えました。欧亜国際連絡列車とよばれるその列車は新橋~金ヶ崎(後の敦賀港駅)間を東海道線(現在の東海道本線)と北陸線(現在の北陸本線)を経由して結び、敦賀港からウラジオストクまでを船で結び、さらにシベリア鉄道を経由してヨーロッパ諸都市を結ぶまさに「国際列車」が走っていました。
廃止となった敦賀港線(2019年7月)

金ヶ崎駅(後の敦賀港駅)にはロシアやヨーロッパ各地へと向かう人々で賑わいました。
敦賀港の景色(2016年10月)

敦賀ムゼウム
敦賀港駅近くの金ヶ崎緑地公園内には敦賀ムゼウムがあります。
遠くに見える敦賀ムゼウム(2016年10月)

1920年(大正9年)、敦賀港にはポーランド孤児が上陸し、1940年(昭和15年)には「命のビザ」を持ったユダヤ人難民が上陸しました。敦賀ムゼウムではこれに関連する資料が展示されています。
敦賀ムゼウム(2019年7月)

敦賀港線
北陸本線の貨物支線である通称「敦賀港線」は敦賀港駅と敦賀駅を結ぶ路線です。
廃止となった敦賀港線(2019年7月)

近年においては、化学工業品や食料工業品などの輸送に利用されてきましたが、その輸送量が減少したため、2009年(平成21年)をもって休止となっていました。JR貨物は2018年(平成30年)、敦賀港~敦賀間の鉄道事業廃止届を提出し、この路線は2019年(平成31年)に廃止となりました。
廃止となった敦賀港線(2019年7月)

オフレールステーションとはJR貨物による貨物駅の一種であり、線路・貨物列車を使用せずにトラックによりコンテナ輸送を行うものです。敦賀港駅では2009年(平成21年)より敦賀港オフレールステーションに改めて運用してきました。現在は敦賀港新営業所と称していますが、今後のコンテナ貨物の取り扱いについても、トラックでの輸送を継続していく予定です。
廃止となった敦賀港線(2019年7月)

旧敦賀港駅舎
敦賀港駅近くの敦賀湾に面したところには金ヶ崎緑地が整備されており、市民の憩いの場となっています。
金ヶ崎緑地に設置されている案内板(2016年10月)

金ヶ崎緑地のすぐそばには敦賀鉄道資料館があります。
敦賀鉄道資料館/旧敦賀港驛舎(2016年10月)

敦賀鉄道資料館には、敦賀の鉄道に関する歴史やその他の鉄道資料が展示されています。
敦賀鉄道資料館/旧敦賀港驛舎(2016年10月)

重要な資料がたくさんあるにもかかわらず、入館料は無料となっています。
敦賀鉄道資料館/旧敦賀港驛舎(2019年7月)

また、敦賀鉄道資料館の建物自体が、かつての敦賀港駅舎となっています。
敦賀鉄道資料館/旧敦賀港驛舎(2016年10月)

この駅舎は、1999年(平成11年)に開催された「つるが・きらめきみなと博21」の際に再現されたものです。
敦賀鉄道資料館/旧敦賀港驛舎(2016年10月)

敦賀港の風景
夕暮れになると、ボードウォークからのぞむ風景はより一層美しくなります。
敦賀港の景色(2016年10月)

ボードウォークは緑地公園の海沿いに設置された散歩道です。
ボードウォーク(2016年10月)

この散歩道から敦賀港を一望することができます。
敦賀港の景色(2016年10月)

敦賀湾の反対側、道をはさんだ向こう側には赤レンガ倉庫が2棟あります。
敦賀赤レンガ(2016年10月)

これは1905年(明治38年)に、アメリカの石油会社が建設した石油貯蔵用の倉庫です。
敦賀赤レンガ(2016年10月)

その後もさまざまな倉庫として使用されてきましたが、2009年(平成21年)に登録有形文化財とされました。
敦賀赤レンガ(2016年10月)

これらは福井県内でも有数のレンガ建築物であり、敦賀港を象徴する建物ですが、2015年(平成27年)に修復工事が完了しました。北棟がジオラマ館,南棟がレストラン館としてオープンしています。
入口横の案内板(2016年10月)

赤レンガ倉庫の隣りには2018年(平成30年)よりキハ28形気動車が展示されています。この気動車は1968年(昭和43年)に「キハ28-1019」として富士重工で製造された急行形であり、かつて小浜線で急行「わかさ」として活躍しました。
赤レンガ倉庫の横に展示されるキハ28形(2019年7月)

急行「わかさ」はもともと1961年(昭和36年)、西舞鶴~金沢間を走る準急列車としてデビューしたものでした。小浜線において初めての優等列車となった準急「わかさ」は1966年(昭和41年)に急行列車へと格上げされました。1972年(昭和47年)になると山陰本線・舞鶴線への乗り入れを果たしますが、1996年(平成8年)には小浜線内の東舞鶴~敦賀間のみを走る急行となりました。1999年(平成11年)には京都~東舞鶴間において、特急「まいづる」が運行されるようになったため、急行「わかさ」は廃止となりました。
キハ28形(2019年7月)

キハ28形は全国的によく知られる車両の一つですが、保存されている車両はそう多くはありません。ここに展示されるキハ28-1019は、前面窓が側面まで回り込んでいるパノラミックウインドウ、運転台下部に拝障器(スカート)ありという特徴をもつ車両です。これら2つの特徴をもつキハ28形は製造された111両のうち、国内で完全な形で現存しているのはここに展示される車両のみであり、極めて稀有な存在となっています。
パノラミックウインドウをもつキハ28形(2019年7月)

1976年(昭和51年)にこの車両は冷房用発電装置を搭載し「キハ28-3019」と改番され、引き続き北近畿地区を中心として活躍していましたが、2000年(平成12年)に廃車となりました。その後、白浜、大阪と渡り歩いて保存されてきましたが、2017年(平成29年)の「つるが鉄道フェスティバル」で展示されたのを契機として敦賀市が取得することになったものです。
キハ28形(2019年7月)
