吉野線の歴史
近鉄吉野線は橿原神宮前~吉野間を結ぶ全長25.2キロの路線です。多くの特急や急行が、南大阪線(大阪阿部野橋~橿原神宮前間)と一体的に運行されており、直通運転をしています。
吉野駅に停車する急行「あべの橋(大阪阿部野橋)行き」(2016年10月)

吉野線の歴史は1911年(明治44年)、吉野軽便鉄道が発足したことにはじまります。1912年(大正元年)に吉野口~吉野(現在の六田)間11.2キロを開通させ、蒸気機関車での営業運転を開始します。
(左)テハ1形/近鉄5151形(昭和36年廃車)(右)開業当時の蒸気機関車

当時の吉野線は「吉野の桜」を観るための人々を運ぶだけではなく、吉野杉などの森林資源を輸送する役割も担っていました。その後、吉野軽便鉄道は1913年(大正2年)に「吉野鉄道」となり、同年に吉野口~橿原神宮前間を開通させました。
旧吉野鉄道路線図の一部

さらに、吉野鉄道は桜井線への直通運転を実施するため、1924年(大正13年)に橿原神宮前~畝傍間を延伸開業しています。1928年(昭和3年)には吉野駅を「六田駅」と改称し、六田~吉野間が開業して吉野線が全通となります。
六田駅駅名標(2016年10月)

1929年(昭和4年)に大阪鉄道の古市~久米寺(現在の橿原神宮前)間が開通すると、大阪阿部野橋~吉野間の直通運転が開始されるようになります。この年、現在の近鉄のルーツとなる大阪電気軌道(大軌)が吉野鉄道を合併しています。
吉野線開業70周年記念乗車券

吉野線の終着駅「吉野駅」
先に述べたように、吉野軽便鉄道が1912年(大正元年)に開業した「初代吉野駅」は現在の六田駅となります。1928年(昭和3年)に、吉野鉄道がさらに吉野山の麓へと延伸し、その終着駅が「2代目吉野駅」となり、「初代吉野駅」は「六田駅」と改称されました。
吉野駅(2016年10月)

1929年(昭和4年)には、大阪電気軌道(大軌)が吉野鉄道を合併し、大阪阿部野橋~吉野間のレールが繋がって、参拝客や花見客が急激に増加しました。
吉野朝廷跡(2016年10月)

1999年(平成11年)、吉野駅は「近畿の駅百選」に選定されました。吉野駅周辺には、かつて吉野杉を運び出すために使用されていた貯木場や、日本最古の吉野山ロープウェイなどがあります。また、吉野駅の駅舎は開業当時のものですが、その重厚な瓦屋根がとても魅力的な駅舎です。
吉野駅駅舎(2016年10月)

また、吉野駅のプラットホームには、春の花見シーズンに多くの人々が訪れるため、広いホームとなっています。
吉野駅ホーム(2016年10月)


吉野山と吉野山ロープウェイ
2004年(平成16年)に「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されましたが、桜の名所として知られる吉野山全体がこの中に含まれている他、金峯山寺(きんぷせんじ),吉水神社などの建造物も世界遺産として登録されています。
金峯山寺近くから見た山々(2016年10月)

吉野山ロープウェイは正式名称を「吉野大峯ケーブル」といい、日本に現存する最古のロープウェイです。1929年(昭和4年)に開業しましたが、架設当時の形態をきわめて良好に保っているものとしては世界的にもめずらしく、2012年(平成24年)にはその歴史的価値の高さが認められて、日本機械学会により機械遺産に認定されています。
ロープウェイ「さくら号」(2016年10月)

一般的な現在のロープウェイは、客車が水平を保つ吊り下げ式ですが、吉野山ロープウェイは客室内の床が階段状になっていて、当時の技術による珍しい構造をしています。吉野山ロープウェイは千本口~吉野山を結んでいますが、春は桜,秋は紅葉,冬は雪と四季ごとに吉野山の風景を約3分の短い時間で楽しむことができます。
吉野駅駅舎(2016年10月)

さて、大阪から近鉄特急に乗車し、吉野駅に到着したら、改札を出てそのまままっすぐ進んでいきます。
吉野駅に停車する特急列車(2016年10月)

吉野駅を出てから約3分ほどで吉野山ロープウェイの千本口駅に到着します。
千本口駅(2016年10月)

ここからロープウェイに乗車し、吉野山へ行くことができます。所要時間は約3分です。
ロープウェイ「さくら号」(2016年10月)

世界遺産「金峯山寺」
ロープウェイ吉野山駅で下車し、吉野山のシンボルである金峯山寺蔵王堂まで歩いて向かいます。3分ほど歩くと黒門が見えてきます。金峯山寺の総門です。さらに少し歩くと銅(かね)の鳥居があります。
金峯山寺銅鳥居(2016年10月)

高さは7.5mあり、すべて銅でできており、室町時代に再建されたものです。
金峯山寺銅鳥居(2016年10月)

金峯山寺は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の1つであり、修験道の総本山です。7世紀後半に飛鳥時代の呪術者である役行者(えんのぎょうじゃ)により開かれたと伝えられます。役行者が修行中に、人々の救済のために現れた「金剛蔵王大権現」の姿を桜の木に刻んで吉野山に安置したのが、そのはじまりとなります。
金峯山寺本堂/蔵王堂(2016年10月)

銅鳥居からさらに歩くと、国宝である金峯山寺仁王門が目の前にそびえたちます。階段を上ると、蔵王堂に到着します。
金峯山寺本堂/蔵王堂(2016年10月)

蔵王堂の高さは34mあり、東大寺大仏殿に次いで日本最大級の規模を誇る木造建築です。現在の本堂は1592年(天正20年)に再建されたものです。
金峯山寺本堂/蔵王堂(2016年10月)

蔵王堂内には「金剛蔵王大権現」3体が安置され、それぞれ「釈迦如来(過去)」「千手観音(現在)」「弥勒菩薩(未来)」が姿を変えたものであり、三世にわたって人々を救うとされています。通常は非公開となっています。
金峯山寺本堂/蔵王堂(2016年10月)

吉野朝廷跡
蔵王堂のすぐ隣には、かつての南朝(吉野朝廷)の皇居跡があります。この辺りには大小20ほどの寺院があり、その中でも最も広い実城寺が行宮とされ、後醍醐天皇の御座所となっており、歴史的にはきわめて重要な場所となっています。
吉野朝廷跡(2016年10月)

1336年(延元元年)、京都を脱出した後醍醐天皇は吉野山に到着し、ここで南朝を開いて、南北朝時代の幕が開きました。当時、この地には金峯山寺の巨大な宿坊や寺院が林立していて、要塞としての機能を備えていたといいます。
吉野朝廷跡(2016年10月)

蔵王堂から少し南にある高台に建っている朱塗りの八角円堂がかつての朝廷跡とされているそうです。
吉野朝廷跡(2016年10月)

世界遺産「吉水神社」
金峯山寺から徒歩7分ほどの場所には吉水神社がありますが、こちらも日本最古の書院建築として世界遺産に登録されています。
吉水神社書院(2016年10月)

吉水神社はもともと、金峯山寺の僧坊でしたが、明治時代に神社となりました。歴史的に見ると、源頼朝に追われた源義経が静御前や弁慶とともに身を隠した場所として知られています。書院には義経と静御前が最後に過ごしたとされる「潜居の間」が遺されています。また、書院には「後醍醐天皇玉座の間」も現存します。
吉水神社(2016年10月)

さらに、豊臣秀吉が五千人もの人を引き連れて盛大な花見を催して数日間滞在した際の本陣としています。豊臣秀吉が愛用した金屏風や設計に関わった庭園も残ります。
吉水神社(2016年10月)
