1.京津線と石山坂本線 Θ札ノ辻駅Θ 2.駅名変更 3.京阪石山駅とJR石山駅 Θ松尾芭蕉Θ Θ大津電車軌道Θ 4.石場駅 5.島ノ関駅と琵琶湖の風景 6.大津市役所前駅 7.京阪大津京駅 8.坂本比叡山口駅
坂本比叡山口駅/写真撮影当時は坂本駅(2018年3月)
京津線と石山坂本線
京阪電気鉄道では、京津線(けいしんせん)と石山坂本線の2つの軌道路線を総称して「大津線」とよんでいます。京津線はびわ湖浜大津~御陵(みささぎ)間を結び、石山坂本線は石山寺~坂本比叡山口間を結ぶ路線です。
びわ湖浜大津駅に到着する石山坂本線の車両(2018年3月)
軌道路線とは軌道法の適用を受ける路線であり、車道を走る路面電車のような軌道をさします。車道を走るためこれを走行する列車は道路の信号にも従わなければなりません。軌道法に先んじて1890年(明治23年)に軌道条例が公布されましたが、軌道条例は当初馬車鉄道とそれに準ずる鉄道の適用を目的としていました。この条例は内務省が管轄し、緩やかな速度で1~2両編成で運行する鉄道を規制するものでした。
石山坂本線と京津線の乗り換えができるびわ湖浜大津駅(2018年3月)
その後、軌道条例は1924年(大正13年)の軌道法施行に伴って廃止されました。軌道法は軌道条例の不備を補うものであり、軌道法では道路以外の専用部分に敷設されたものを専用軌道、道路に敷設されたものを併用軌道と称しています。
唐橋前駅付近の専用軌道を走行する700系車両(2017年9月)
京津線と石山坂本線はびわ湖浜大津駅で分岐しており、この駅でそれぞれに乗り換えることができます。なお、石山坂本線のびわ湖浜大津駅と三井寺駅の間は専用軌道ではなく、併用軌道となっています。
びわ湖浜大津駅付近の併用軌道部分(2018年3月)
札ノ辻駅
札ノ辻駅は、現在の京津線(けいしんせん)びわ湖浜大津駅と上栄町(かみさかえまち)駅の間にあった駅ですが、1946年(昭和21年)に廃止されました。この駅は京津線開業当時、終着駅となっていました。
びわ湖浜大津駅のホーム(2018年3月)
駅名変更
2008年(平成30年)に大津線では駅名変更を実施しています。浜大津駅はびわ湖浜大津駅、別所駅は大津市役所前駅、皇子山駅は京阪大津京駅、坂本駅は坂本比叡山口駅となりました。
大津線の駅名変更(2018年3月)
大津市では2007年度(平成29年度)より「オンリーワンのびわ湖を活用した地域の活性化」に取り組んでおり、これに賛同した京阪電気鉄道では琵琶湖や比叡山などを訪れる観光客や日常の利用者の乗換利用促進を目的として駅名変更を実施しました。
車内に掲示される旧駅名入りの路線図(2018年3月)
山科駅に掲示される路線図(2018年4月)
京阪石山駅とJR石山駅
京阪石山駅は1914年(大正3年)、大津電車軌道の別保(現在の粟津)~石山駅前(現在の京阪石山)間開通の際、石山駅前駅として開業しました。
京阪石山駅(2017年9月)
その後、会社合併などにより琵琶湖鉄道汽船、京阪電気鉄道(旧)、京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の所属となり、1949年(昭和24年)に現在の京阪電気鉄道の所属となりました。1953年(昭和28年)には京阪石山駅と改称されています。
京阪石山駅から170円区間切符(2017年9月)
京阪石山駅はJR琵琶湖線の石山駅に隣接しており、2階デッキを通ってJR線に乗り換えることができます。隣接する石山駅は1903年(明治36年)に官鉄の草津駅~馬場駅(現在の膳所駅)間に開業した駅です。したがって、JR琵琶湖線の石山駅の方が古くからある駅ということになります。
石山駅(2017年9月)
石山駅前広場の東端をかつての東海道は南北に走っていたといいます。江戸幕府が調査した記録によると、この辺りの東海道の道幅は約6メートルでした。石山駅付近の旧東海道沿いには近江八景「粟津の晴嵐」で知られる松並木が広がっていました。そして、現在の石山駅南出口の2階デッキには松尾芭蕉像が立ちます。
「石山寺行き」の車両(2018年3月)
松尾芭蕉
松尾芭蕉は言わずと知れた江戸時代の俳人であり、1644年(寛永21年)に伊賀上野(現在の三重県伊賀市)に生まれました。松尾芭蕉が石山駅のある滋賀県大津市を初めて訪れたのは42歳のときでした。『野ざらし紀行』は松尾芭蕉がふるさとの伊賀上野へ旅を記した俳諧紀行文ですが、この旅の途中に大津に滞在しています。このとき、松尾芭蕉のもとに集まった門弟たちは「湖南蕉門」とよばれています。
松尾芭蕉像(2017年9月)
当時、松尾芭蕉が滞在したのは木曽塚の草庵(現在の義仲寺/ぎちゅうじ)に仮住まいした後、近津尾神社(ちかつおじんじゃ)境内にあった草庵「幻住庵」に移っています。ここで過ごした4か月を『幻住庵記』に記しています。51歳でその生涯を閉じた松尾芭蕉の遺体は遺言により義仲寺に埋葬されています。
石場駅
石場駅は大津電車軌道の大津(現在のびわ湖浜大津)~膳所(現在の膳所本町)間開通の際に開業しています。その後、会社合併などにより琵琶湖鉄道汽船、京阪電気鉄道(旧)、京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の所属となり、1949年(昭和24年)に現在の京阪電気鉄道の所属となりました。
石場駅ホーム(2018年1月)
島ノ関駅と琵琶湖の風景
島ノ関駅は1913年(大正2年)、石山坂本線の前身となる大津電車軌道の大津(現在のびわ湖浜大津)~膳所(現在の膳所本町)間が開通した際に開業しました。
大津電車軌道
大津電車軌道は1913年(大正2年)、大津(現在のびわ湖浜大津駅)~膳所(現在の膳所本町)間を最初の開業区間としました。この路線は官鉄として敷設されたものを引き継いだものです。後に膳所(現在の膳所本町)より順次延伸され、1914年(大正3年)までには浜大津(現在のびわ湖浜大津駅)~石山(現在の石山寺)間を開通させていました。1927年(昭和2年)になると、太湖汽船と合併して琵琶湖鉄道汽船とし、石山(現在の石山寺)~坂本(現在の坂本比叡山口)間を開通させています。同年、現在の近江鉄道八日市線となる湖南鉄道も合併しています。京阪電気鉄道との合併に際して、旧湖南鉄道の路線は八日市鉄道に譲渡し、汽船部門については太湖汽船(2代/現在の琵琶湖汽船)へと譲渡した上で、現在の石山坂本線は京阪電気鉄道の所属となりました。
その後、鉄道会社の合併により琵琶湖鉄道汽船の所属を経て、京阪電気鉄道の駅となりました。その島ノ関駅から徒歩5分の場所にあるのが滋賀県立琵琶湖文化館であり、その古い建築物はまるで琵琶湖に浮かんでいるように見えます。
琵琶湖文化館(2018年1月)
その前身は1948年(昭和23年)に開館した滋賀県立産業文化館ですが、1961年(昭和36年)に滋賀県で初めての総合博物館(博物館・近代美術館・展望閣・水族館など)として開館しました。
琵琶湖文化館(2018年1月)
しかし、2008年(平成20年)をもって、建物の老朽化と入場者の減少により休館となりました。
琵琶湖文化館(2018年1月)
その琵琶湖文化館のすぐ横には「明智左馬之助湖水渡」の碑がひっそりと立っています。
「明智左馬之助湖水渡」の碑(2018年1月)
1582年(天正10年)、明智光秀は主君の織田信長を本能寺で討って天下人となりますが、京にもどった豊臣秀吉に山崎の戦いで敗れて、後に「三日天下」などと語り継がれることになりました。その明智光秀の娘婿であった明智左馬之助(明智秀満/明智光春)は織田信長の居城であった安土城を攻めていましたが、明智光秀が豊臣秀吉に敗れたという知らせを受けて、拠点であった坂本城へ引き返します。
その途上、豊臣秀吉の先鋒武将であった堀秀政と遭遇し、味方の兵が次々と討たれていく中で、活路を湖水に求めて打出浜より愛馬に跨り琵琶湖に乗り入れたといわれます。堀秀政はすぐに沈むだろうとこれを見ていたものの、明智左馬之助は琵琶湖を渡って坂本城へと到着したといいます。坂本城へ到着したものの時すでに遅く、坂本城を豊臣秀吉の大軍に囲まれた明智左馬之助は坂本城に火を放って自害し、坂本城は落城したといいます。
大津市役所前駅
大津市役所前駅の線路西側には大津市役所・大津市歴史博物館、線路東側には皇子山総合運動公園があります。
改称される前の大津市役所前駅(2018年3月)
大津市役所前駅は1927年(昭和2年)、琵琶湖鉄道汽船の三井寺~兵営前間延伸時に兵営前駅として開業しました。1940年(昭和15年)に別所駅と改称されていました。
改称される前の大津市役所前駅(2018年3月)
駅前のバス停は別所駅時代も「市役所前」というバス停でした。
駅前のバス停(2018年3月)
京阪大津京駅
現在の京阪大津京駅は1946年(昭和21年)、京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の皇子山駅として開業しました。
改称される前の皇子山駅駅名標(2018年3月)
その後、京阪電気鉄道の駅となり、2018年(平成30年)に京阪大津京駅と改称されました。この名称に変更されたのは、隣接する湖西線の大津京駅との乗換駅となっているため、乗客によりわかりやすくするためです。
皇子山駅時代の駅看板(2018年3月)
坂本比叡山口駅
坂本比叡山口駅は1927年(昭和2年)、琵琶湖鉄道汽船の松ノ馬場~坂本間開通にともない坂本駅(現在の坂本比叡山口駅)として開業しました。
坂本比叡山口駅に改称する前の坂本駅(2018年3月)
その後、会社合併により京阪電気鉄道の石山坂本線の駅となりました。2018年(平成30年)には坂本駅は坂本比叡山口駅と改称しました。
坂本比叡山口駅に改称する前の坂本駅(2018年3月)
坂本比叡山口駅から徒歩2分ほどのところに公人屋敷(旧岡本邸)があります。この住居には、江戸時代に延暦寺の僧侶でありながら、妻帯と苗字帯刀を許された公人(くにん)が住んでいました。
公人屋敷/旧岡本邸(2018年3月)
この屋敷は以前の様子をよくとどめた社寺関係大型民家の特徴を示す住宅として保存され、2001年(平成13年)に大津市に寄贈されたものです。