阪堺電気軌道
あべのハルカスは2014年(平成26年)に開業した日本で最も高いビルです。その高さは300メートルにも及び、それまで最も高かった296メートルの横浜ランドマークタワーを抜いて、日本一の高層ビルとなりました。
あべのハルカス(2016年10月)
「ハルカス」という名前は古いことば「晴るかす」に由来しており、「晴るかす」には「はればれとさせる」「晴らす」という意味があります。その超近代的な高層ビルの「麓」から阪堺電気軌道は走り出します。
ラッピング広告を纏った阪堺電車(2017年10月)
あべのハルカスを中心とする阿倍野再開発事業は1976年(昭和51年)に大阪市が着手しましたが、その再開発事業に合わせて、阪堺電気軌道上町線の起点となる天王寺駅前付近では軌道緑化工事が行われました。
天王寺駅前付近の工事の様子(2017年10月)
天王寺駅前停車場はあべの筋の道路の中央部に位置しています。したがって、停車場は両側を車道で挟まれた形となっています。1900年(明治33年)に大阪馬車鉄道の開業時に公園東門駅として設置されました。
天王寺駅前付近の工事の様子(2017年10月)
上町線と阪堺線
阪堺電気軌道には上町線と阪堺線の2路線があります。
阪堺電車路線図(2018年12月)
上町線は天王寺駅前~住吉間(天王寺駅前—阿倍野—松虫—東天下茶屋—北畠—姫松—帝塚山三丁目—帝塚山四丁目—神ノ木—住吉)を結ぶ路線であり、阪堺線は恵美須町~住吉~我孫子道~浜寺駅前間(恵美須町—新今宮駅前—今池—今船—松田町—北天下茶屋—聖天坂—天神ノ森—東玉出—塚西—東粉浜—住吉—住吉鳥居前—細井川—安立町—我孫子道—大和川—高須神社—綾ノ町—神明町—妙国寺前—花田口—大小路—宿院—寺地町—御陵前—東湊—石津北—石津—船尾—浜寺駅前)を結ぶ路線です。
ラッピング広告を纏った阪堺電車(2017年10月)
上町線は1900年(明治33年)、大阪馬車鉄道が天王寺西門前~東天下茶屋間を開業させたのがそのルーツとなります。大阪馬車鉄道は1897年(明治30年)に設立された鉄道会社であり、まさにレールの上を馬が客車を引いて走行するという交通機関を運営していました。軌道は1902年(明治35年)までに上住吉,下住吉と順次延伸された後、馬車軌道を廃止して電化工事に着手します。
天王寺駅前付近の工事の様子(2017年10月)
ところが、電化工事中の1909年(明治42年)に南海鉄道がこれを合併し、翌年に電化工事を完成させました。路線は「上町線」と呼称されるようになり、天王寺西門前~住吉神社間の営業がはじまります。1913年(大正2年)には住吉神社前~住吉公園間の延伸工事が完了し、このとき住吉公園停車場にて南海本線住吉公園駅(現在の住吉大社駅)との連絡が可能となっています。その後、1921年(大正10年)になると、天王寺西門前~天王寺駅前間は大阪市電に譲渡されます。
天王寺駅前付近の工事の様子(2017年10月)
阪堺線は1911年(明治44年)、阪堺電気軌道が恵美須町~大小路(おおしょうじ)間を開通させたことにはじまります。翌年には大小路~少林寺橋(現在の御陵前)~浜寺駅前まで延伸されて阪堺線が全通します。その後、南海鉄道との競争が激化していきますが、1915年(大正4年)になると両社は合併して、南海鉄道阪堺線となります。
阪堺電鉄
阪堺電鉄は1923年(大正12年)に設立された鉄道会社であり、芦原橋~浜寺間を結ぶ軌道線を運営していました。名前はよく似ていますが、阪堺電気軌道とは異なる鉄道会社であり、また南海電気鉄道の前身となる阪堺鉄道とも異なります。阪堺電鉄の開業時には、すでに阪堺電気軌道の恵美須町~浜寺駅前間が走っていたため「新阪堺」とよばれるようになりました。「新阪堺」は1927年(昭和2年)に芦原橋~三宝車庫前間を開通させ、その後徐々に南へと延伸し、1935年(昭和10年)に浜寺までその線路を伸ばして全通としています。1944年(昭和19年)になると、阪堺電鉄は大阪市に買収され、すべての事業を大阪市へと譲渡しています。その後、この路線は大阪市電の阪堺線となりますが、当時は恵美須町~浜寺駅前間を結ぶ南海鉄道阪堺線(現在の阪堺電気軌道阪堺線)と区別するため「三宝線」とよばれました。
住吉停車場付近の分岐と運賃のルール
現在の運行系統は恵美須町~我孫子道を結ぶ阪堺線系統と、天王寺駅前~住吉~我孫子道~浜寺駅前を結ぶ上町線系統に分かれています。上町線の軌道と阪堺線の軌道は住吉停車場付近で合流しています。
住吉停車場付近で交わる軌道(2016年10月)
上の写真において、右へカーブをしている軌道は、住吉の交差点から分岐して天王寺駅前方面へ向かう上町線の軌道です。カーブの先の踏切の横に見えるのは、天王寺駅前から浜寺駅前方面に向かう電車の停車場です。左へ直進していく軌道は恵美須町方面へ向かう阪堺線の軌道です。上町線の軌道は平面交差により阪堺線の軌道を横切り、以前は住吉公園停車場まで延びていました。ところが、住吉停車場構内の分岐器および付近の併用軌道の抜本的な改修が必要となってしまったことから、2016年(平成28年)をもって上町線の住吉~住吉公園間は廃止となりました。これにより住吉停車場付近の平面交差は解消されています。
住吉停車場から見た住吉大社(2016年10月)
住吉公園停車場は営業を終了する前まで、午前8時台に終電となる「日本一終電の早い駅」として知られていました。最近では、上町線は住吉停車場で阪堺線に乗り入れ、浜寺駅前方面へ向かう電車が大多数となっていて、住吉公園停車場を発着する電車は朝の7時~8時台の5本(土曜・休日は4本)だけとなっていました。
住吉停車場の駅名表示板(2016年10月)
運賃は全区間とも「1回乗車」につき210円(小児110円)となっています。住吉停車場のには「のりかえ指定駅」の表示が見えます。
住吉停車場(2016年10月)
阪堺線の軌道は大阪のシンボル「通天閣」のお膝元である恵美須町停車場から出発し、住吉停車場で上町線と合流し、我孫子道を経由して浜寺駅前へと至ります。たとえば、天王寺駅前で乗車し住吉で降車して、恵美須町方面に行く電車(阪堺線)に乗り換えることができます。この場合、運賃は210円だけでよいことになります。なお、「のりかえ指定駅」とされているのは住吉と我孫子道です。
阪堺電車の乗りかた(2018年12月)
阪堺電車を描いた小説とその車両
大阪のまちを走る阪堺電車(阪堺電気軌道)のここ85年を描いた小説が『阪堺電車177号の追憶』です。
書籍名:『阪堺電車177号の追憶』
著者名:山本巧次
出版社:ハヤカワ文庫
発行日:2017年(平成29年)9月25日
この小説は阪堺電気軌道161形電車を中心に描いていますが、この電車は2018年(平成30年)現在、わが国において定期運用される電車としては最古のものとなっています。その現役稼働年数は90年にもおよびます。
北天下茶屋駅の駅名表示板(2016年10月)
車両だけではなく停車場にもレトロ感がいっぱいです。北天下茶屋停車場は阪堺線の停留場であり、1911年(明治44年)に恵美須町~市ノ町(現在の大小路)間が開通した際に開業しました。この停車場のすぐ近くにある商店街を抜けて歩いて5分ほどの場所には天下茶屋駅があります。
北天下茶屋駅の駅名表示板(2016年10月)
351形電車は1962年(昭和37年)、当時大阪軌道線を運営していた南海電気鉄道が路面電車用として投入した車両です。モ354号はモ353号、モ355号とともに1963年(昭和38年)に製造された車両ですが、南海時代に製造された最後の車両となりました。
恵美須町停車場に停車するモ351形/モ354(2016年12月)
701形電車は1987年(昭和62年)に登場した車両です。
701形電車/天王寺都ホテルの広告がラッピングされるモ704(2018年12月)
351形以来となる新型車両であり、南海電気鉄道から大阪軌道線が分離されて以来、初めての新車投入となりました。
天王寺駅前停車場で出発を待つモ702号(2016年10月)
その車両には「ボディ広告」とよばれるラッピングがなされており、モ704号は「天王寺都ホテル」のラッピングが施されています。
「天王寺都ホテル」のラッピング車両(2016年10月)
2013年(平成25年)には、バリアフリー対応となる床の低さ32センチの超低床連接車(連節車)1001形電車の営業運転を開始しています。車内の連接部についてもフラット構造となっている他、その通路も他の車両に比べるとかなり広くなっています。
住吉停車場付近を走行する1001形(2016年10月)
連接車(連節車)とは、路面電車などにおいて複数の車両が幌で連結された一連の車両のことをいいますが、この連接車の愛称は「堺トラム」と名付けられています。
堺トラム1001形(2016年10月)
先頭車両がA車、中間車両がC車、後部車両がB車となっています。A車とB車には台車が付いていますが、中間車両のC車はフローティング車体となっています。フローティング車体は連接車(連節車)などにおいて、台車の付いた車体と車体の間に台車の付いていない車体を挟み込んだタイプの車両のことをいいます。
阪堺電車の北天下茶屋停車場付近の様子(2016年10月)
C車には写真のようにLED式行先表示板と入口ドアが付いていますが、入口ドアはB車の反対側面にも付いています。出口ドアは写真で見るとA車のこちら側についていますが、B車の反対側面にも出口ドアが付いています。
「堺」の毛筆ロゴが側面に見える(2016年10月)
車体には緑の帯があしらわれていますが、これは堺市にゆかりのある千利休にちなんで、茶道における茶葉を表しています。そうした和のイメージは、連接部付近に記されている「堺(SAKAI)」の毛筆ロゴにも見られます。堺トラムはまさに和風のLRV(ライトレール・ビークル)といえます。
ラッピング広告を纏った阪堺電車(2017年10月)
浜寺駅前停留場
浜寺公園は2018年(平成30年)の台風21号により甚大な被害を受け、公園内の松の木や桜の木が相当数折れてしまっています。もともとはそうした多くの松の木が美しい松林をつくり、大阪府内では唯一「名松百選」にも選ばれる公園です。名松百選は1983年(昭和58年)に「日本の松の緑を守る会」が発表したものです。大阪府内では唯一「浜寺公園の松」が選ばれています。
浜寺公園駅旧駅舎(2018年12月)
その他には、三保の松原(静岡県),松島の松(宮城県),天橋立の松(京都府),彦根城のいろは松(滋賀県),法隆寺境内の松(奈良県),須磨浦公園の松(兵庫県),皇居外苑の松(東京都),日光の姫小松(栃木県),筑波山の松(茨城県),兼六園の松(石川県),気比の松原(福井県)などがピックアップされています。
浜寺公園中央入口の横にある小さな派出所(2018年12月)
白砂青松(はくしゃせいしょう/はくさせいしょう)とは、白い砂浜と青々とした松林をもつ美しい海岸線の景色を言い表すときの形容として用いられる言葉ですが、この辺りの松林が連なる広い地域は、万葉の時代よりまさに「白砂青松の地」として詠まれてきました。この美しい松林の原型となるのは、宝永年間に辺りの住民らが防潮のために植林したことにはじまります。1868年(明治元年)になると新田開発のために松林が伐採されますが、1873年(明治6年)にこの地を訪れた大久保利通は伐採され減少した松林を見て、伐採停止の指示をしたといいます。大久保利通が松林伐採を惜しんで詠んだ歌「音に聞く 高師の浜の はま松も 世のあだ波は のがれざりけり」が、園内に「惜松碑」として建てられています。
阪堺電車の浜寺駅前停留場に停車する路面電車(2018年12月)
そして1873年(明治6年)、浜寺公園は日本最古の公立公園として開園し、今では大阪で最も古い公園の一つとされています。その後、海浜リゾート地として賑わうようになり、園内では数軒の料亭が営まれるようになりました。その料亭の一つ「寿命館」においては1900年(明治33年)、与謝野晶子が与謝野鉄幹と親しくなった歌会が催されています。その歌集『みだれ髪』(1901年/明治34年)で知られる与謝野晶子は1878年(明治11年)、現在の大阪府堺市に生まれました。1900年(明治33年)に浜寺公園で出会った与謝野鉄幹と、1901年(明治34年)に結婚しています。浜寺公園内には与謝野晶子の歌碑が設置されています。
浜寺公園駅東側出入口(2018年12月)
浜寺公園中央入口前を走る紀州街道(府道204号線)をはさんで東側には、阪堺電気軌道の浜寺駅前停留場が見えます。ここは阪堺線の終点となっていますが、その歴史は古く、停留場が開業したのは1912年(明治45年)のことです。
公園側から見た阪堺電車の停留場(2018年12月)
停留場は開業からすでに100年以上の時が流れており、大阪の繁華街「ミナミ」の中心地からわずか30分ほどの場所にかつての面影を見ることができます。
停留場の駅舎(2018年12月)
駅舎に掲出されている「阪堺電気軌道 浜寺駅前 HAMADERAEKIMAE」の文字にも時代を感じさせられるものがあります。
停留場の駅舎(2018年12月)
浜寺駅前停留場から少し東へ行くと、赤い屋根の古い建築物が見えてきます。南海電気鉄道南海本線の浜寺公園駅であり、赤い屋根の建築物はこの駅の旧駅舎です。
浜寺公園駅旧駅舎(2018年12月)