箱根登山鉄道「箱根の山は天下の嶮」

投稿者: | 2018-10-06

箱根湯本・強羅間開通60周年記念乗車券


「箱根の山は天下の嶮」

箱根といえば「箱根の山は天下の嶮(けん)」という一節が思い起こされますが、これは鳥居忱(まこと)作詞・滝廉太郎作曲による「箱根八里(はこねはちり)」という曲の冒頭です。「嶮」は「険」とも書き、険しい場所ということになりますが、登山電車がはじまる小田原駅の標高は14メートルとなっています。

【箱根登山鉄道鉄道線】

[小田原]―[箱根板橋]―[風祭]―[入生田]―[箱根湯本]―[塔ノ沢]―[大平台]―[宮ノ下]―[小涌谷]―[彫刻の森]―[強羅]

小田原駅の次の箱根板橋駅での標高はまだ16メートルですが、そこからは40‰の急勾配も見られ、箱根湯本駅での標高は96メートルとなります。ちなみに、「‰」というのは割合を表す単位であり「パーミル」と読みます。「%(パーセント)」も割合を表す単位ですが、これが100分の1を表すのに対して、「‰(パーミル)」は1000分の1を表します。鉄道の勾配を表す場合には「‰」が用いられますが、たとえば「40‰」というと1000メートル進む間に40メートル上るという計算になります。

さらに、ここから登山電車の終点となる強羅駅までの距離は8.9キロしかありませんが、強羅駅の標高が541メートルなので、この短い路線距離の中でかなり高度を稼いでいくということになります。


急勾配とスイッチバック方式

箱根登山鉄道ラック式やケーブル式ではない普通の鉄道なので、出山信号場(塔ノ沢~太平台間)、大平台駅上大平台信号場(大平台~宮ノ下間)の3か所ではスイッチバック方式が採用されています。スイッチバック方式とは短い距離において高低差をクリアするために、ジグザグ状に線路を敷設し、列車が折り返し地点に入った向きと反対向きに出発する方法です。

大平台~宮ノ下間の雪景色の中を走る登山電車

箱根登山鉄道路線内の半分ほどは、わが国の最急となる80‰の急勾配区間となります。これは12.5メートル進むだけで1メートルの高さを登る急勾配ということになります。急勾配のこの鉄道を建設するにあたり、当時はベルニナ鉄道(現在のレーティシェ鉄道ベルニナ線)に多くの技術を学んでいます。また、路線内は急勾配に加えて曲線部分も多く、車輪とレールの摩擦における障害を防ぐために水を排出しながら走行しています。

峡谷にかかる高架陸橋を登るベルニナ線の列車

【レーティシェ(レーティッシュ)鉄道】

レーティシェ(レーティッシュ)鉄道は、スイス東部に約400キロにおよぶ路線網をもつスイス最大の私鉄です。2008年(平成20年)には「レーティッシュ鉄道アルブラ線・ベルニナ線と周辺の景観」が、スイスとイタリアにまたがる国境を越える世界文化遺産として認定されています。

そのスイスの鉄道会社と姉妹提携を結んでいるのが、日本屈指の山岳鉄道である箱根登山鉄道です。1978年(昭和53年)に開業90周年を迎えていた箱根登山鉄道は、その開業時にベルニナ線から学んで開業したという縁により、姉妹提携を結ぶことになりました。

雪景色の中を走行するベルニナ線の列車


「出山の鉄橋」

塔ノ沢~出山信号場間の渓谷にかかる高さ40メートル、長さ70メートルの早川橋梁は「出山の鉄橋」とよばれ、素晴らしい景色を見ることができます。大正時代に当時の技術により架けられた鉄橋ですが、木々の間から登山電車が垣間見える姿は、たった70メートルでありながら人気の観光スポットとなっています。

出山鉄橋を渡る登山電車


小田原馬車鉄道からはじまる歴史

箱根登山鉄道は1888年(明治21年)、小田原馬車鉄道が国府津~湯本(現在の箱根湯本)間を開通させたことにはじまります。小田原馬車鉄道小田原電気鉄道と社名変更して、1919年(大正8年)には箱根湯本~強羅間を開業しました。1921年(大正10年)になると、下強羅(現在の強羅)~上強羅(現在の早雲山)間にケーブルカーも開通させています。

箱根登山鉄道の終点となる強羅駅早雲山駅を結ぶケーブルカーの正式名称は箱根登山鉄道鋼索線です。鋼索線は1921年(大正10年)にわが国で2番目のケーブルカーとしてデビューしました。その軌間は開業当初1,000ミリとなっていましたが、現在はレールが交換されたため983ミリとなっています。

【箱根登山鉄道鋼索線】

[強羅]―[公園下]―[公園上]―[中強羅]―[上強羅]―[早雲山]

(上)1964年~1973年のベルニナ線動力車
(下)箱根登山鉄道開通時のモハ1型


東京急行電鉄から小田急電鉄の傘下へ

1928年(昭和3年)、小田原電気鉄道は電力の安定供給を図るため日本電力と合併した後、日本電力から箱根登山鉄道を分離して創立させました。1942年(昭和17年)、日本電力は箱根登山鉄道の株式を東京急行電鉄に譲渡し、箱根登山鉄道東京急行電鉄の傘下となりました。

ところが、1948年(昭和23年)になると、小田急電鉄東京急行電鉄から分離されたため、このとき箱根登山鉄道小田急電鉄の傘下となります。これにより、1950年(昭和25年)より小田急電鉄箱根湯本駅への乗り入れを開始しました。さらに、1959年(昭和34年)になると、早雲山~大涌谷間にロープウェーが開業します。

【ロープウェー】

ケーブルカーの終点となる早雲山駅桃源台駅の間はロープウェーが結んでいます。戦時中の1944年(昭和19年)に営業を休止したことがありましたが、1950年(昭和25年)に営業を再開しています。

また、1994年(平成6年)にも営業を休止していますが、これは乗客数が急増して輸送量強化が不可欠となったことから、車両の大型化と設備の交換など大規模な工事をするためでした。工事完了後はその輸送力は2倍以上となりました。ここで走行する車両はガングロフ社(スイス)、地上設備についてはフォンロール社(スイス)が製造を担当しています。


箱根湯本温泉

箱根登山鉄道沿線にはとなる日本二十五勝にも数えられる箱根温泉があります。その開湯は古く奈良時代に遡り、738年(天平10年)といわれています。このときに発見された源泉は現在でも使用されています。

【日本二十五勝】

1927年(昭和2年)に日本では観光ブームが起こり、日本各地の観光地は整備が進んで交通網も発達しました。このとき、大阪毎日新聞社・東京日日新聞社は鉄道省の後援を得て、日本八景を選定しています。この日本八景に次ぐ景勝地ベスト25が日本二十五勝ということになります。日本二十五勝は温泉、海岸、湖沼、山岳、河川、渓谷、瀑布、平原の8つのカテゴリーよりそれぞれ選定されています。

温泉からは箱根温泉の他、熱海温泉(静岡県)、塩原温泉(栃木県)、海岸からは若狭高浜(福井県)、鞆の浦(広島県)、屋島(香川県)、湖沼からは大沼(北海道)、富士五湖(山梨県)、琵琶湖(滋賀県)、山岳からは白馬岳(長野県)、木曾御嶽(長野県)、立山(富山県)、阿蘇山(熊本県)、河川からは利根川(千葉県)、長良川(岐阜県)、球磨川(熊本県)、渓谷からは御嶽昇仙峡(山梨県)、天龍峡(長野県)、黒部峡谷(富山県)、瀞八丁(和歌山)、瀑布からは袋田瀧(茨城県)、養老瀧(岐阜県)、那智瀧(和歌山県)、平原からは大和平原(奈良県)、日田盆地(大分県)が選定されています。

箱根温泉は神奈川県箱根町にある温泉の総称であり、周辺のあらゆる場所に温泉街が点在している他、付近は富士箱根伊豆国立公園に指定されています。江戸時代には東海道に沿った温泉として賑わい、湯本・塔之沢・堂ヶ島、宮ノ下・底倉・木賀・芦之湯は「箱根七湯」として知られました。

このうち、箱根登山鉄道箱根湯本駅の最寄りとなる箱根湯本温泉箱根で最も大きい温泉街となっており、箱根の玄関口ともなる温泉です。その泉質は単純泉・アルカリ性単純泉であり、神経痛・関節痛・冷え性に効くと知られています。