鞍馬線
京都電燈は1887年(明治20年)に設立された電力会社であり、京都駅近くにある現在の関西電力京都支社はその本社となっていました。京都電燈は電力会社ですが、1914年(大正3年)よりその電力の供給先を確保するために鉄道事業に参入することになります。
鞍馬線木野駅の鞍馬方面行きホーム(2019年4月)
鞍馬電気鉄道は1927年(昭和2年)、その京都電燈と京阪電気鉄道の合弁会社として設立されました。1928年(昭和3年)には、鞍馬電気鉄道は山端(現在の宝ヶ池)~市原間を開業し、鞍馬線の歴史がはじまります。
貴船口駅から鞍馬駅へと向かう線路(2017年9月)
さらに、1929年(昭和4年)には市原~鞍馬間が開通し、鞍馬線(宝ヶ池—八幡前—岩倉—木野—京都精華大前—二軒茶屋—市原—二ノ瀬—貴船口—鞍馬)の全通となります。
鞍馬線還暦記念乗車券開通60周年
当時、鞍馬線を走った20形電車は鞍馬電気鉄道と京都電燈が共同設計した車両ですが、1994年(平成6年)まで現役車両として活躍しました。
デナ21形連結車
京都電燈は鞍馬電気鉄道の他、嵐山電車軌道などを運営していましたが、1942年(昭和17年)には鉄道部門のみ分離独立させ京福電気鉄道を設立しています。同年、鞍馬線を運行する鞍馬電気鉄道もこの京福電気鉄道に合併し、京都電燈は解散しています。
鞍馬線還暦記念乗車券開通60周年
1985年(昭和60年)になると、京福電気鉄道より叡山本線および鞍馬線を分離独立し、叡山電鉄が設立されました。叡山電鉄は京福電気鉄道の赤字部分を引き継いだ形となってしまいました。
デナ124号車+デナ122号車
叡山電鉄は比叡山,鞍馬や貴船という有名な観光地を抱えながら、起点である出町柳駅が京都の中心部から孤立した状態にあったため低迷していましたが、1989年(平成元年)に京阪電気鉄道が三条~丸太町(現在の神宮丸太町)~出町柳間を結ぶ鴨東線を開通させてからは、観光の足として利用されるようになります。
鞍馬線還暦記念乗車券開通60周年
鞍馬駅
鞍馬駅は鞍馬線の終着駅であり、鞍馬駅へは叡山電鉄の起点となる出町柳駅を出発して30分ほどで到着します。
鞍馬駅駅名標(2017年9月)
鞍馬駅は1929年(昭和4年)、現在の場所から400メートルほど離れた場所に鞍馬電気鉄道の鞍馬仮駅として開業しました。
鞍馬線還暦記念乗車券開通60周年
その2か月後に鞍馬仮駅が廃止となり、現在の鞍馬駅が誕生しています。
鞍馬駅駅舎(2017年9月)
鞍馬駅は1942年(昭和17年)に会社合併により京福電気鉄道の所属となり、さらに1986年(昭和61年)には京福電気鉄道が鞍馬線を叡山電鉄に譲渡したため、その所属となりました。
貴船口駅から鞍馬駅へと向かう線路(2017年9月)
鞍馬駅は2000年(平成12年)に近畿の駅百選に選定されています。
鞍馬駅駅舎正面(2017年9月)
その駅舎は入母屋(いりもや)造となっていて、屋根上部は左右二方向へ勾配をもちます。
鞍馬駅駅舎正面(2017年9月)
屋根下部は前後にも勾配があり四方向へ勾配をもつような形となっています。
鞍馬駅駅舎右側面(2017年9月)
鞍馬駅2番線の横、臨時の改札口の隣りには車輪の展示が見えます。
2番線の隣りに見える車輪(2017年9月)
その車輪の隣りには小さな車両が保存展示されています。この車両はデナ21形のカットボディーですが、1929年(昭和4年)に叡山電鉄の前身である京都電燈と鞍馬電気鉄道が鞍馬線の開通に合わせて共通設計した車両です。
デナ21形(2017年9月)
この車両は1930年(昭和5年)に運行を開始しています。
デナ21形(2017年9月)
この車両は1994年(平成6年)まで217万キロ以上を走行し、全盛期には同じ車両が10両活躍しました。現在ここに残す展示車両がその最後の姿ということになります。
デナ21形(2017年9月)
鞍馬駅前には、その長さが2.8メートルにもなる大きな鼻を持つ天狗のオブジェがあり、鞍馬を訪れる人々の写真撮影スポットともなっています。天狗は1994年(平成6年)に平安建都1200年を記念して作られたものであり、2002年(平成14年)から鞍馬駅に設置されています。
鞍馬駅前の大天狗(2017年9月)
2017年(平成29年)には、この巨大な天狗の鼻が折れてしまうという「事件」がありました。天狗は発泡スチロール製だそうで、京都市内に降りはじめた雪の重みにより折れてしまったと推定されています。しかし、天狗の鼻はすぐに「治療」されて、再び観光客の注目の的となっています。
鞍馬駅正面の駅名板(2017年9月)
2017年(平成29年)夏、叡山電鉄の鞍馬駅では「悠久の風~南部風鈴によせて~」という企画が実施されました。
待合室に飾り付けられた南部風鈴(2017年9月)
うちわ型1日乗車券の発売、風鈴電車「悠久の風」号の運行の他、圧巻は鞍馬駅のホームと待合室に約190個の南部風鈴を飾り付けるというものです。
待合室に飾り付けられた南部風鈴(2017年9月)
鞍馬駅ホームに飾り付けられた南部風鈴(2017年9月)
岩手県の南部風鈴の美しい音色は、暑い夏のひとときを涼しい気分にしてくれるとともに、都会の喧騒に疲れた気持ちを静かに癒してくれます。
鞍馬駅ホームに飾り付けられた南部風鈴(2017年9月)
ところで、なぜ鞍馬駅に南部風鈴なのかというと、鞍馬といえば源義経ですが、源義経はこの地で修業を積んだ後、奥州平泉(岩手県)へと渡っています。
鞍馬駅ホームに飾り付けられた南部風鈴(2017年9月)
その縁により南部風鈴となるわけです。
鞍馬駅ホームに飾り付けられた南部風鈴(2017年9月)
保元の乱は1156年(保元元年)に起こります。後白河天皇と崇徳上皇の対立により争いとなりましたが、源義朝と平清盛が後白河天皇側につき、勝利を得ました。後白河天皇は二条天皇に譲位し、自らは後白河上皇となって院政を敷きました。
貴船口駅から鞍馬駅へと向かう線路(2017年9月)
しかし、保元の乱において、父・源為義や弟・源為朝までも敵に回して打ち破った源義朝は、自らの乱後の恩賞が平清盛に比して冷遇されていると感じていました。
鞍馬寺(2017年9月)
こうした背景から源氏と平氏の戦いへと発展し、平治の乱(1159年/平治元年)となります。平清盛は後白河上皇と二条天皇を守って源義朝らを破ります。
叡山電鉄木野駅(2019年4月)
父・源義朝を失った源頼朝は伊豆に流され、異母弟である「牛若丸」こと源義経は母と離れて鞍馬山にある寺に預けられて生活することになります。
鞍馬寺(2017年9月)
「鞍馬天狗」では牛若丸が天狗に兵法や武術を学んでいたことが描かれています。源義経はこの鞍馬山でいつしかやってくるであろう平家討伐に備えていたのかもしれません。鞍馬寺への入り口は、鞍馬駅を出て駅前の道を左へ曲がると見えてきます。
鞍馬寺(2017年9月)
鞍馬寺の案内板には以下のようにあります。「鞍馬寺は鞍馬弘教の総本山で、宇宙の大霊(尊天)を本尊とする信仰の道場であり、山内一帯は尊天より活力をいただくべく心浄かに祈りを捧げる浄域である。宝亀元年(770)に鑑真和上の高弟鑑禎上人が毘沙門天を祀る草庵を結び、延暦15年(796)には藤原伊勢人が王城鎮護の寺として伽藍を建立、爾来、衆庶の信仰を集めて来た。豊かに恵まれた大自然の中に牛若丸ゆかりの地や「九十九折」などの名称古蹟が散在し「初寅大祭」「竹伐り会式」など年中行事も多く四季を通じて訪れる人々の心にやすらぎを与えている。」
鞍馬寺案内板(2017年9月)
鞍馬山鋼索鉄道は鞍馬寺への参拝者を輸送するために敷設されたケーブルカーであり、宗教法人鞍馬寺が運営する地方鉄道です。山門~多宝塔間を結んでおり、1957年(昭和32年)に鞍馬寺の境内に敷設されました。
鞍馬寺(2017年9月)
山門駅では1992年(平成4年)に建設された普明殿が駅舎となっており、多宝塔駅では開業当時に建設された多宝塔礼堂が駅舎となっています。
鞍馬寺(2017年9月)
開業当時は軌間762ミリのレールと車輪を使用した鉄道でしたが、1996年(平成8年)の改修により軌間800ミリのゴムタイヤ式の車両となりました。
鞍馬寺(2017年9月)
叡山本線
鞍馬電気鉄道は鞍馬線の開通に先立ち、1925年(大正14年)に鞍馬電気鉄道平坦線として、出町柳~八瀬(現在の八瀬比叡山口)間(出町柳—元田中—茶山・京都芸術大学—一乗寺—修学院—宝ヶ池—三宅八幡—八瀬比叡山口)を開業させています。
八瀬比叡山口駅に停車する「出町柳行き」(2017年9月)
その際に、現在の宝ヶ池駅は山端(やまばな)駅として開業していますが、1928年(昭和3年)に山端(現在の宝ヶ池)~市原間が開業すると、山端駅(現在の宝ヶ池駅)は両線の分岐点となります。したがって、始発となる出町柳駅から山端駅(現在の宝ヶ池駅)までは叡山本線も鞍馬線も同じ線路を走ります。その後、山端駅は1954年(昭和29年)に「宝ケ池駅」と駅名を変更しています。
緑に埋もれる宝ヶ池駅駅名標(2017年9月)
宝ヶ池駅から八瀬比叡山口駅までは2駅しかありませんが、こちらが本線(叡山本線)となります。もう一方の鞍馬線は宝ヶ池駅での分岐後、貴船口・鞍馬へと向かう路線ですが、有名な紅葉のトンネルを通り抜けて鞍馬へと向かいます。
貴船口駅から鞍馬駅へと向かう線路(2017年9月)
観光列車「ひえい」
叡山本線はもともと、比叡山延暦寺への参拝客を運ぶための路線として開業しました。叡山本線のラインカラーは緑色ですが、これは緑色から比叡山の森を連想させるものです。
叡山本線宝ヶ池駅の出町柳方面行きホーム(2017年9月)
叡山電鉄では2018年(平成29年)、出町柳~八瀬比叡山口間に観光列車「ひえい」を投入しています。観光列車「ひえい」は、車両の正面が楕円形になっており、その奇抜なデザインが目を引きます。
観光列車「ひえい」(2019年8月)
「ひえい」の顔となる「楕円」は、叡山本線と鞍馬線の2つの路線の終着駅となる比叡山と鞍馬山のもつ「神秘的な雰囲気」や「時空を超えたダイナミズム」といったイメージを大胆に表現しています。
観光列車「ひえい」(2019年7月)
観光列車「ひえい」は鉄道友の会が選定する「2019年ローレル賞」を受賞しています。叡山電鉄では1998年(平成10年)に展望列車「きらら」が受賞しており、それ以来二度目の受賞ということになります。
展望列車「きらら」(2019年4月)
「ひえい」のロゴマークとなるSpiritual Energy(スピリチュアル・エナジー)は大地から放出される気のパワーと灯火を抽象化しています。
「ひえい」のロゴマーク(2019年7月)
その座席はゆったりとしたバケットシートを採用しており、一人の着席スペースを明確にするとともに座り心地が良いものとなっています。そのシートには「神秘的な力・気」「御山の等高線」「歴史の積層」をイメージしたデザインが施されています。なお、観光列車「ひえい」は乗車券のみで乗車できるため、特別料金は不要です。
八瀬比叡山口駅近くの高野川のせせらぎ(2017年9月)
展望列車「きらら」
叡山電鉄のデオ900形は1997年(平成9年)に2両1編成が、また1998年(平成10年)にも2両1編成が出町柳~鞍馬間に登場し、その愛称は展望列車「きらら」と名付けられました。
木野駅付近を走る展望列車「きらら」(2019年4月)
「きらら」の愛称は修学院から比叡山へと続く「雲母坂(きららざか)」にちなんでつけられたといわれます。雲母坂は平安時代より比叡山へ向かう主要道として利用されてきました。
車両に描かれる列車名(2016年12月)
「きらら」の車両の製作費は1編成につき約2億5000万円だったということですが、運賃については普通列車と同様に普通運賃のみで乗車でき、特別料金や座席の予約などは必要ありません。
出町柳駅に到着する展望列車「きらら」(2016年12月)
貴船口駅付近を走る「きらら」(2017年9月)
なお、「きらら」は「1998年ローレル賞」を受賞しています。ローレル賞とは、ブルーリボン賞・ローレル賞選考委員会が選んだ候補車両について会員の投票結果を参考とし、選考委員会が審議した上で優秀と認めた車両を選定するものです。1961年(昭和36年)に制定された賞です。
貴船口駅付近を走る「きらら」(2017年9月)
鞍馬方面より貴船口駅に到着する展望列車「きらら」(2017年9月)
「きらら」の車内は通常の座席と異なり、窓面に向かって設置されているシートもあります。
展望列車「きらら」の車内の様子(2016年12月)
「きらら」の車窓はかなりの大型で、景色がよく見えるようにカーテンなどは設置されていません。
展望列車「きらら」の車内の様子(2016年12月)
「きらら」の車内にはボックスシートも配置されており、ここからも大きな窓を通して外の景色がよく見えます。
展望列車「きらら」の車内の様子(2016年12月)
叡山電鉄800系(デオ800形)
1990年(平成2年)に登場した800系(デオ800形)は、2両編成が2編成あります。
800系の車内(2017年9月)
そのうち、1編成は鞍馬の雲珠桜をイメージしたピンク色の帯が描かれています。もう1編成はその車体に山並をイメージした緑の帯が描かれています。
800系(2017年9月)
叡山電鉄700系(デオ710形)
1987年(昭和62年)に登場した700系(デオ710形)は、1両編成が2編成あります。いずれも叡山電鉄初の冷房車であり、ワンマン運転用となっています。
700系(2017年9月)
2016年(平成28年)、712号車は車両の片面を消防車、もう一方の面を救急車のデザインをした「えいでんまとい号」としています。
712号車(2017年9月)
八瀬比叡山口駅
八瀬比叡山口駅は叡山本線の終点となります。1925年(大正14年)の京都電燈がこの駅を開業したときは「八瀬駅」として設置されました。
八瀬比叡山口駅にある「八瀬駅」の駅名標(2017年9月)
1965年(昭和40年)には「八瀬遊園駅」と改称し、2002年(平成14年)より「八瀬比叡山口駅」となっています。
八瀬比叡山口駅の駅名標(2017年9月)
八瀬比叡山口駅周辺は開業当時、京都電燈と地元が主体となって開発され、その駅名となった八瀬遊園という遊園地が1964年(昭和39年)に開業されました。
八瀬比叡山口駅ホーム(2017年9月)
開業当初は年間20万人ほどの入場者がありましたが、その後低迷し、1983年(昭和58年)には「スポーツバレー京都」として生まれ変わりました。若者向けのスポーツ遊園地となったものの良い結果が得ることができずに、1999年(平成11年)に「森のゆうえんち」として再出発を果たします。
「八瀬駅」と表記される八瀬比叡山口駅の駅舎(2017年9月)
しかしながら、これも業績を好転させるには至らず、京福電気鉄道の業績悪化にともない、2001年(平成13年)に閉園となりました。
八瀬比叡山口駅の駅舎(2017年9月)
トレイン・シェッド
八瀬比叡山口駅は、ホームから線路まですべてを大きな屋根で覆うトレイン・シェッドのある駅です。トレイン・シェッドは利用客を雨風や直射日光から守ります。
八瀬比叡山口駅のトレイン・シェッド(2017年9月)
しかしながら、そうしたメリット以上に都市の景観や利用客の心理に与える影響が重視されるといいます。19世紀のヨーロッパや北アメリカの大都市では、その都市を象徴する存在としてトレイン・シェッドのある駅が建設されました。
大阪駅の巨大なトレイン・シェッド(2019年3月)
日本におけるトレイン・シェッドのある駅としては、大阪駅,二条駅,甲子園駅などがあります。
大阪駅の巨大なトレイン・シェッド(2019年3月)
八瀬比叡山口駅のつくりを見ると、列車の発着口には大きな開口部があり、骨組みは鉄骨で組み上げられ、上部側面には明り取りの窓が連続して設置されています。
八瀬比叡山口駅のトレイン・シェッド(2017年9月)
八瀬比叡山口駅のホームは頭端式となっています。
頭端式のホーム(2017年9月)
八瀬比叡山口駅から叡山ケーブル,叡山ロープウェイと乗り継いで比叡山山頂に辿り着くことができます。比叡山周辺には数多くの観光スポットがあります。
八瀬比叡山口より宝ヶ池駅に到着する出町柳行き(2017年9月)
比叡山山麓の八瀬周辺には御蔭神社,八瀬天満宮社,蓮華寺,崇道神社,九頭竜大社,三宅八幡宮など、比叡山中腹にはかわらけ投げ広場,八瀬もみじの小径,パノラマ広場,比叡ビュースポットなど、比叡山山頂にはつつじヶ丘,ガーデンミュージアム比叡などがあります。
八瀬比叡山口駅近くの高野川のせせらぎ(2017年9月)
比叡山へのアクセスは、出町柳駅を起点とする叡山本線に乗車し、終点の八瀬比叡山口駅で降車します。
八瀬比叡山口駅に到着する叡山本線の車両(2017年9月)
八瀬比叡山口駅からは比叡山頂へアクセスできる他、京都バスで大原方面へと向かうこともできます。比叡山頂へ向かうには、ここから叡山ケーブル・叡山ロープウェイを利用します。
高野川を渡る木橋(2017年9月)
八瀬比叡山口駅からケーブル八瀬駅までは徒歩約3分です。八瀬比叡山口駅を出て、高野川を渡ります。
高野川を渡る木橋(2017年9月)
坂道を登っていくとほどなくケーブル八瀬駅に到着します。
坂道を上るとケーブル駅に到着(2017年9月)
叡山ケーブル
叡山ケーブル(京福電気鉄道鋼索線)は、ケーブル八瀬駅とケーブル比叡駅を結んでいます。その間カーブがあったり、急傾斜があったりとその総延長は1,300メートルとなり、所要時間は約9分です。また、その標高差561メートルは日本一となります。
ケーブル八瀬駅に停車する車両(2017年9月)
叡山ケーブルの歴史を紐解くと、京都側からの比叡山延暦寺への参詣の足として、1925年(大正14年)に京都電燈が開業し、1942年(昭和17年)に京福電気鉄道へと分離譲渡されています。
ケーブル八瀬駅を出発する車両(2017年9月)
現在のケーブル八瀬駅は当時は「西塔橋駅」、ケーブル比叡駅は当時は「四明嶽駅」として設置され、1965年(昭和40年)には西塔橋駅は「ケーブル八瀬遊園駅」、四明嶽駅は「ケーブル比叡駅」と改称されました。その後、2002年(平成14年)にはケーブル八瀬遊園駅を「ケーブル八瀬駅」としています。
ケーブル八瀬駅(2017年9月)
叡山ロープウェイ
叡山ケーブルのケーブル比叡駅からは叡山ロープウェイに乗り継ぐことができます。叡山ロープウェイは京福電気鉄道が運営する索道路線であり、ロープ比叡駅と比叡山頂駅を結んでいます。このロープウェイは約3分間で山頂へと案内してくれます。ロープウェイももともとは京都電燈が1927年(昭和2年)、高祖谷~延暦寺間を結んだのがそのはじまりとなります。叡山ケーブル(鋼索線)と同じくロープウェイも1942年(昭和17年)に京福電気鉄道へ経営が移されています。
八瀬比叡山駅の周辺(2017年9月)
戦時中の1944年(昭和19年)にはロープウェイは撤去され、鋼索線も営業を休止しています。その後、鋼索線が1946年(昭和21年)に営業を再開し、1956年(昭和31年)にはロープウェイも現在のロープ比叡駅~比叡山頂駅を結ぶルートに変更されて復活を果たしています。
鞍馬・貴船日帰りきっぷ
叡山沿線の観光地を訪れるには鞍馬・貴船日帰りきっぷを利用すると便利です。
鞍馬・貴船日帰りきっぷ(2017年9月)
叡山電鉄2路線の乗り降りが自由である他、京都バスの京都市均一区間および大原,岩倉村松,岩倉実相院,市原,鞍馬温泉,貴船までの範囲の路線と、京都市バスが乗り降り自由となります。
鞍馬・貴船日帰りきっぷのチラシ(2017年9月)
京阪電気鉄道の東福寺~出町柳間も乗り降り自由となります。
鞍馬・貴船日帰りきっぷのチラシ(2017年9月)
出町柳駅
叡山本線の始発駅となる出町柳駅は、高野川と賀茂川が合流して鴨川となる鴨川デルタのすぐ近くにあります。
出町柳駅(2019年6月)
京都の玄関口となる京都駅から出町柳駅へはバスを利用するか、京阪電気鉄道を利用します。
出町柳駅駅名標(2016年12月)
東海道新幹線で京都駅に着いたなら、JR奈良線に乗り換え、北へ向かうために少しばかり南へ下ります。京都駅から一つ目の駅となる東福寺駅で京阪電気鉄道に乗り換え、出町柳駅へ向けて北上します。
出町柳駅(2019年6月)
今でいえば、こうした乗り換えは不便ということになりますが、それもまた旅の一つということになります。
出町柳駅改札口(2016年12月)
一乗寺駅
出町柳駅を出発すると、小さな列車は住宅地の中をゆっくりと走り、しばらくすると一乗寺駅に到着します。
一乗寺駅駅名標(2016年12月)
一乗寺駅で下車して東へ600メートルほど行くと、有名な詩仙堂があります。
一乗寺駅付近の風景(2016年12月)
詩仙堂は、江戸時代初期の文人であった石川丈山の山荘跡であり、創建されたのは1641年(寛永18年)のことです。石川丈山は徳川家康に仕えましたが、33歳で隠居して藤原惺窩について学びました。59歳のときに詩仙堂を創建し、その後亡くなるまで三十年にわたり、ここで人生を楽しんだといいます。石川丈山がつくった庭園は今でも美しく維持されています。
一乗寺駅付近の風景(2016年12月)
岩倉駅
岩倉駅は1928年(昭和3年)、鞍馬電気鉄道の駅として開業しました。
岩倉駅南口(2019年9月)
その後、京福電気鉄道の駅を経て、1986年(昭和61年)に叡山電鉄の駅となりました。岩倉駅からは少し離れていますが、岩倉実相院の最寄り駅となります。
岩倉駅北口(2019年9月)
実相院の開基は静基(じょうき)であり門跡寺院の一つであり、元は天台宗寺門派の単立寺院でした。その本尊は鎌倉時代に作られたといわれる木造立像の不動明王です。特に、室町時代から江戸時代にかけて、天台宗寺門派においては数少ない門跡寺院の随一とされていました。
岩倉駅を出発して鞍馬方面へ向かう電車(2019年9月)
木野駅
木野駅は1928年(昭和3年)、鞍馬電気鉄道の開通と同時に開業しました。
木野駅駅名標(2019年4月)
木野駅を出発して鞍馬方面へ向かう車両(2019年4月)
その後、京福電気鉄道の駅となり、1986年(昭和61年)に叡山電鉄の駅となりました。
出町柳方面行きホーム(2019年4月)
1990年(平成2年)には岩倉~二軒茶屋間が複線化されていますが、その際に数百メートルほど東へ移転されています。
鞍馬方面行きホーム(2019年4月)
現在では、相対式ホームをもつ2面2線の無人駅となっており、出町柳方面行きホームと鞍馬方面行きホームは駅の東側にある踏切で行き来するようになっています。
木野駅東側踏切(2019年4月)
木野駅周辺の風景(2019年4月)
二ノ瀬駅
二ノ瀬駅は1929年(昭和4年)、鞍馬電気鉄道の駅として開業しています。その後、1942年(昭和17年)に会社合併により京福電気鉄道の駅となり、1986年(昭和61年)には叡山電鉄の駅となっています。
二ノ瀬駅(2017年9月)
叡山本線と鞍馬線は宝ヶ池駅で分岐した後、鞍馬線が市原駅を過ぎて山の中へと進んでいくと紅葉のトンネルがあります。紅葉のトンネルを抜けると二ノ瀬駅に到着します。鞍馬線は二ノ瀬駅では対向列車との待ち合わせをします。
叡山電車の車両(2019年4月)
貴船口駅
貴船神社は水の神を祀る全国2000社を数える水神の総本宮です。
貴船口駅付近の風景(2017年9月)
その創建については不詳ですが、677年(白鳳6年)にはすでに社殿造替の記録があり、日本でも屈指の古社と考えられます。
貴船口駅付近の風景(2017年9月)
貴船神社の三社詣は、貴船山の麓にある本宮,奥宮,結社を参ります。
貴船口駅付近の風景(2017年9月)
貴船神社の玄関口となるのは貴船口駅であり、貴船口駅は鞍馬川と貴船川とが分岐するあたりにあります。
貴船口駅(2017年9月)
貴船口駅は1929年(昭和4年)に鞍馬電気鉄道の駅として開業し、京福電気鉄道の駅を経て、叡山電鉄の駅となっています。
貴船口駅(2017年9月)
貴船口駅より徒歩で貴船神社へ行く場合は約2キロの道のりを歩くことになり、30分ほどかかります。
貴船口駅付近の風景(2017年9月)
貴船神社へバスでアクセスする場合には、貴船口駅前バス停より京都バス(33号系統)に乗車(約5分)し、貴船バス停で下車すると徒歩5分ほどになります。
貴船口駅付近の風景(2017年9月)
京福電気鉄道
京福電気鉄道の軌道路線は「嵐山線」(通称「嵐電」)と称していますが、嵐山~帷子ノ辻~四条大宮間(嵐山—嵐電嵯峨—鹿王院—車折神社—有栖川—帷子ノ辻—太秦広隆寺—蚕ノ社—嵐電天神川—山ノ内—西大路三条—西院—四条大宮)が嵐山本線,帷子ノ辻~北野白梅町間(帷子ノ辻—撮影所前—常盤—鳴滝—宇多野—御室仁和寺—妙心寺—龍安寺—等持院・立命館大学衣笠キャンパス前—北野白梅町)が北野線となります。
帷子ノ辻駅に停車する「四条大宮行き」(2017年7月)
嵐山電車軌道は1910年(明治43年)、京都(現在の四条大宮)~嵐山間(現在の嵐山本線)を開通しました。1918年(大正7年)に京都電燈が嵐山電車軌道を合併し、嵐電は京都電燈のもとで列車を運行することになりました。1925年(大正14年)には現在の北野線の一部となっている北野(現在は廃止)~高雄口(現在の宇多野)間を開通し、翌年に高雄口(現在の宇多野)~帷子ノ辻間が開通して嵐山本線と接続します。
宇多野駅ホームのプランター(2019年7月)
北野駅については1958年(昭和33年)、京都市電今出川線の延長に際して北野~白梅町(現在の北野白梅町)間は譲渡することとなり、北野線の起点は白梅町(現在の北野白梅町)となり、駅名も変更して「北野白梅町」としました。
宇多野駅(2019年7月)
その後、戦時における配電統制令により京都電燈が解散されることになり、京都電燈の鉄道事業を継承するため、1942年(昭和17年)に京福電気鉄道が設立されました。太平洋戦争の直前の1941年(昭和16年)、電力事業を政府の管理下に置くため配電統制令が公布されました。すべての電力事業者は会社の解散を余儀なくされ、全国9地区に分け9つの配電会社が設立されて、これらにより配電事業が行われることとなりました。
嵐電天神川駅(2019年7月)
京福電気鉄道は嵐山線(嵐山本線および北野線)の他、鋼索線(通称「叡山ケーブル」)と叡山ロープウェイおよび現在は叡山電鉄となっている叡山本線と鞍馬線を京都電燈より継承しました。しかし、叡山本線と鞍馬線については経営が悪化したこともあり、1986年(昭和61年)に叡山電鉄に事業を譲渡しています。また当時は、福井県内においてもバスおよび鉄道事業を運営していましたが、2000年(平成12年)にバス事業を京福バスに、2003年(平成15年)に鉄道事業をえちぜん鉄道に譲渡しています。
嵐電天神川駅付近を走る嵐電(2019年7月)
帷子ノ辻駅
嵐電は北野白梅町,四条大宮,嵐山を「Y」の字を横にしたような形の軌道で結んでいます。3点を結んだ路線が集まる「Y」の字の真ん中が帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅となります。
写真左手が北野線、右手が嵐山本線へと分岐する(2017年7月)
帷子ノ辻駅は1926年(大正15年)、北野線の高雄口(現在の宇多野)~帷子ノ辻間開通と同時に開業し、後に京福電気鉄道の駅となりました。
帷子ノ辻駅(2017年7月)
太秦広隆寺駅
京都最古の寺となる広隆寺(こうりゅうじ)は、太秦(うずまさ)広隆寺駅が最寄りとなります。
太秦広隆寺駅(2017年7月)
広隆寺は603年(推古天皇11年)、秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立した寺院です。その本尊は国宝の指定第1号となった弥勒菩薩像です。
広隆寺(2017年7月)
撮影所前駅
2019年(令和元年)、鈴木卓爾監督による映画『嵐電』が公開されました。嵐電は「らんでん」と読み、京都のまちを走る路面電車の愛称です。映画は井浦新さん,大西礼芳さんの主演で、嵐電の走るまちで織りなす3組の男女の運命を描いています。
蚕ノ社駅付近の嵐電の軌道(2019年7月)
撮影所前駅の近くには江戸時代の町を再現したオープンセットのある東映太秦映画村があります。
撮影所前駅(2019年7月)
嵐電の沿線では、映画の創成期から数々の撮影所がつくられ、多くの映画関係者をこの辺りで見かけることができました。そして、撮影所は少なくなりましたが、現在でも映画の撮影は行われています。
撮影所前駅(2019年7月)
撮影所前駅は2016年(平成28年)に開業した新しい駅であり、北野線全線開通90周年を記念して設置されました。この駅の近くにはJR嵯峨野線の太秦駅があり、乗換駅となっています。
嵐山駅に停車する映画村のヘッドマークを付けた車両(2017年7月)
撮影所前駅の構造としては、単線を挟んで2面相対式の地上駅となっています。
2面相対式の駅ホーム(2019年7月)
上の写真では、奥の方が帷子ノ辻・嵐山方面へと続く線路、手前の方が北野白梅町へと続く線路となります。
行先表示板(2019年7月)
宇多野駅
宇多野駅は1925年(大正14年)に「高雄口駅」として開業し、2007年(平成19年)に「宇多野駅」と改称しています。
宇多野駅駅名標(2019年7月)
駅の構造としては、上下線のホーム位置が少しずれている形となる2面1線をもつ千鳥式ホームとなっています。
帷子ノ辻方面行きホームから北野白梅町方面行きホームが見える(2019年7月)
福王子神社は宇多野駅から徒歩3分ほど福王子交差点前にあります。
福王子交差点にあるレトロな福王子交番(2019年7月)
福王子神社の前身は「深川神社」だったとされますが応仁の乱により焼失し、1644年(寛永21年)に徳川家光らが社殿を造営して「福王子神社」になったとされます。
福王子神社(2019年7月)
寛永年間に再興された社殿は国の重要文化財に指定されています。
本殿(2019年7月)
拝殿(2019年7月)
御室仁和寺駅
仁和寺(にんなじ)は886年(仁和2年)に光孝天皇の命によりその造営を開始し、888年(仁和4年)の宇多天皇時代に創建された寺院であり、当時の元号より「仁和寺」と命名されました。現在では真言宗御室派の総本山となり、1994年(平成6年)には世界遺産に登録されています。その見どころとしては国宝の金堂の他、重要文化財である朱塗りの中門,五重塔などがあります。
仁和寺(2017年7月)
宇多天皇は897年(寛平9年)に皇太子(後の醍醐天皇)に譲位した後、自らは出家し「法皇」と称して仁和寺に入ります。904年(延喜4年)には、仁和寺に生活空間としての僧房(室)を営んだことから、この辺りの地名が「御室(おむろ)」とよばれるようになったといいます。宇多天皇が仁和寺第1世宇多(寛平)法皇となって以降は、仁和寺代々の住職には皇室出身者が迎えられるようになり門跡寺院としての最高の格式を保つようになりました。鎌倉時代中期には全盛期を迎えることとなりますが、室町時代に起こった応仁の乱によりその寺院の大きな部分を焼失してしまいます。江戸幕府第3代将軍・徳川家光時代になると、第21世覚深法親王によりようやく再興されますが、1867年(慶応3年)には第30世純仁法親王が還俗したことにより断絶し、門跡寺院としての歴史を終えることになりました。
御室仁和寺駅駅舎(2017年10月)
仁和寺街道は一条通と合流して仁和寺の前に出ますが、この道はさらに御室から高雄(高尾),周山を通って小浜へと至ります。周山街道とよばれるこの道はかつて、日本海の海産物や北山杉などの木材を京の都へ運ぶ重要な街道となっていました。
仁和寺から見た御室仁和寺駅(2017年7月)
仁和寺へは御室仁和寺駅からのアクセスが便利です。御室仁和寺駅は1925年(大正14年)に「御室駅」として開業して以来、2007年(平成19年)までは「御室駅」とよばれていました。
御室仁和寺駅駅舎(2017年7月)
駅舎正面の表示は今でも旧駅名の「御室驛」となっています。駅舎があるのは北野白梅町方面行きのホームのみであり、嵐山・四条大宮方面行きホームへは駅舎の外側にある踏切を渡らなければなりません。
等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅
嵐電は2020年(令和2年)、「等持院駅」の駅名を「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅」に改称しました。これは京福電気鉄道が立命館との連携・協力協定を締結したことによるものです。駅名改称により「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅」は日本一長い駅名となりました。
宇多野駅に停車する嵐電の車両(2019年7月)