叡山電鉄の2つの路線「叡山本線と鞍馬線」

投稿者: | 2018-07-04

1.宝ヶ池駅と叡山本線・鞍馬線 2.叡山本線と観光列車「ひえい」 3.鞍馬線の歴史 4.展望列車「きらら」 5.叡山本線と鞍馬線を走る車両 6.八瀬比叡山口駅 7.鞍馬駅と駅前の大天狗 8.鞍馬天狗と鞍馬山 9.鞍馬・貴船日帰りきっぷ 10.出町柳駅 11.一乗寺駅 12.岩倉駅 13.木野駅 14.二ノ瀬駅 15.貴船口駅

 

八瀬比叡山口駅に停車する「出町柳行き」(2017年9月)


宝ヶ池駅と叡山本線・鞍馬線

宝ヶ池駅は1925年(大正14年)、叡山電気鉄道出町柳~八瀬(現在の八瀬比叡山口)間を開業させた際に山端(やまばな)駅として開業しました。

 

緑に埋もれる宝ヶ池駅駅名標(2017年9月)

 

1928年(昭和3年)に鞍馬電気鉄道が山端(現在の宝ヶ池)~市原間を開通させると分岐駅となりました。

 

鞍馬線還暦記念乗車券開通60周年

 

始発となる出町柳駅から宝ヶ池駅までは叡山本線鞍馬線も同じ線路を走りますが、2つの路線は宝ヶ池駅から分岐します。

 

叡山本線宝ヶ池駅の出町柳方面行きホーム(2017年9月)

 

宝ヶ池駅から八瀬比叡山口駅までは2駅しかありませんが、こちらが本線(叡山本線)となります。もう一方の鞍馬線宝ヶ池駅での分岐後、貴船口鞍馬へと向かう路線です。有名な紅葉のトンネルを通り抜けて鞍馬へと向かいます。

 

貴船口駅から鞍馬駅へと向かう線路(2017年9月)


叡山本線と観光列車「ひえい」

叡山本線出町柳八瀬比叡山口を結ぶ叡山電鉄の路線であり、比叡山延暦寺への参拝客を運ぶための路線として開業しました。その歴史は1925年(大正14年)、京都電燈により出町柳~八瀬(現在の八瀬比叡山口)間が開通したことにはじまります。

 

観光列車「ひえい」(2019年8月)

 

1928年(昭和3年)になると、鞍馬電気鉄道により山端(現在の宝ヶ池)~市原間が開業し、山端駅(現在の宝ヶ池駅)は接続駅となりました。

 

叡山電車の車両(2019年4月)

 

その後、この鉄道路線は1942年(昭和17年)に京福電気鉄道へ、1986年(昭和61年)に叡山電鉄へと譲渡され、現在に至ります。叡山本線のラインカラーは緑色となっていますが、これは緑色から比叡山の森を連想させるものです。

 

観光列車「ひえい」(2019年7月)

 

叡山電鉄では2018年(平成29年)、出町柳八瀬比叡山口間に観光列車「ひえい」を投入しました。観光列車「ひえい」は、車両の正面が楕円形になっており、その奇抜なデザインが目を引きます。叡山電鉄は叡山本線と鞍馬線の2つの路線をもちますが、2つの路線の終着点となる比叡山鞍馬山のもつ「神秘的な雰囲気」や「時空を超えたダイナミズム」といったイメージを「楕円」というモチーフで大胆に表現しています。

 

貴船口駅から鞍馬駅へと向かう線路(2017年9月)

 

観光列車「ひえい」は鉄道友の会が選定する「2019年ローレル賞」を受賞しました。叡山電鉄では1998年(平成10年)に展望列車「きらら」が受賞しており、それ以来二度目の受賞ということになります。

 

展望列車「きらら」(2019年4月)

 

そのロゴマークとなるSpiritual Energy(スピリチュアル・エナジー)は大地から放出される気のパワーと灯火を抽象化しています。なお、観光列車「ひえい」は乗車券のみで乗車できるため、特別料金は不要です。

 

「ひえい」のロゴマーク(2019年7月)

 

その座席はゆったりとしたバケットシートを採用しており、一人の着席スペースを明確にするとともに座り心地が良いものとなっています。そのシートには「神秘的な力・気」「御山の等高線」「歴史の積層」をイメージしたデザインが施されています。

 

八瀬比叡山口より宝ヶ池駅に到着する出町柳行き(2017年9月)


鞍馬線の歴史

鞍馬線の歴史は、1928年(昭和3年)に鞍馬電気鉄道山端(現在の宝ヶ池~市原間を開業したのがそのはじまりとなります。翌年の1929年(昭和4年)には市原~鞍馬が開通し、鞍馬線が全通しました。

 

鞍馬線還暦記念乗車券開通60周年

 

当時、鞍馬電気鉄道は京都電燈の子会社であり、鞍馬電気鉄道と京都電燈が共同設計した20形電車は1994年(平成6年)まで現役として活躍していました。

 

デナ21形連結車

 

京都電燈は本来、1888年(明治21年)に設立された電力会社ですが、1914年(大正3年)よりその電力の供給先を確保するために鉄道事業に参入しています。

 

鞍馬線還暦記念乗車券開通60周年

 

京都電燈は鞍馬電気鉄道の他、嵐山電車軌道などを運営していましたが、1942年(昭和17年)には鉄道部門のみ分離独立させ京福電気鉄道を設立しています。同年、鞍馬線を運行する鞍馬電気鉄道もこの京福電気鉄道に合併し、京都電燈は解散しています。

 

デナ124号車+デナ122号車

 

1985年(昭和60年)になると、京福電気鉄道より叡山本線および鞍馬線を分離独立し、叡山電鉄が設立されました。叡山電鉄京福電気鉄道の赤字部分を引き継いだ形となってしまいました。

 

貴船口駅から鞍馬駅へと向かう線路(2017年9月)

 

叡山電鉄比叡山、鞍馬や貴船という有名な観光地を抱えながら、起点である出町柳駅京都の中心部から孤立した状態にあったため低迷していました。

 

鞍馬線還暦記念乗車券開通60周年

 

しかしながら、1989年(平成元年)に京阪電気鉄道三条~丸太町(現在の神宮丸太町)出町柳を結ぶ鴨東線を開通させてからは、観光の足として利用されるようになります。


展望列車「きらら」

叡山電鉄デオ900形は1997年(平成9年)に2両1編成が、また1998年(平成10年)にも2両1編成が出町柳鞍馬間に登場し、その愛称は展望列車「きらら」と名付けられました。

 

貴船口駅付近を走る「きらら」(2017年9月)

 

「きらら」の愛称は修学院から比叡山へと続く「雲母坂(きららざか)」にちなんでつけられたといわれます。

 

車両に描かれる列車名(2016年12月)

 

「きらら」の車両の製作費は1編成につき約2億5000万円だったということですが、運賃については普通列車と同様に普通運賃のみで乗車でき、特別料金や座席の予約などは必要ありません。

 

木野駅付近を走る展望列車「きらら」(2019年4月)

 

なお、「きらら」は1998年度のローレル賞を受賞しています。ローレル賞は鉄道友の会が1961年(昭和36年)に制定した日本の鉄道車両に対する賞です。

 

出町柳駅に到着する展望列車「きらら」(2016年12月)

 

「きらら」の車内は通常の座席と異なり、窓面に向かって設置されているシートもあります。

 

展望列車「きらら」の車内の様子(2016年12月)

 

「きらら」の車窓はかなりの大型で、景色がよく見えるようにカーテンなどは設置されていません。

 

展望列車「きらら」の車内の様子(2016年12月)

 

「きらら」の車内にはボックスシートも配置されており、ここからも大きな窓を通して外の景色がよく見えます。

 

展望列車「きらら」の車内の様子(2016年12月)

貴船口駅付近を走る「きらら」(2017年9月)


叡山本線と鞍馬線を走る車両

800系(デオ800形)は1990年(平成2年)に投入されています。

 

800系(2017年9月)

 

2両編成が2編成あり、1編成は鞍馬の雲珠桜をイメージしたピンク色の帯が描かれており、もう1編成はその車体に山並をイメージした緑の帯が描かれています。

 

800系の車内(2017年9月)

 

700系(デオ710形)は1987年(昭和62年)に登場した車両です。1両編成が2編成あり、ワンマン運転用となっています。

 

700系(2017年9月)

 

2016年(平成28年)、712号車は車両の片面を消防車、もう一方の面を救急車のデザインをした「えいでんまとい号」としています。

 

712号車(2017年9月)


八瀬比叡山口駅

八瀬比叡山口駅叡山本線の終点となります。1925年(大正14年)の京都電燈がこの駅を開業したときは八瀬駅として設置されました。

 

八瀬比叡山口駅の隣りにある「八瀬駅」の駅名標(2017年9月)

 

1965年(昭和40年)に八瀬遊園駅と改称し、2002年(平成14年)より八瀬比叡山口駅となっています。

 

八瀬比叡山口駅の駅名標(2017年9月)

 

ここから叡山ケーブル・叡山ロープウェイと乗り継いで比叡山山頂に辿り着くことができます。比叡山周辺には数多くの観光スポットがあります。比叡山山麓の八瀬周辺には御蔭神社、八瀬天満宮社、蓮華寺、崇道神社、九頭竜大社、三宅八幡宮など、比叡山中腹にはかわらけ投げ広場、八瀬もみじの小径、パノラマ広場、比叡ビュースポットなど、比叡山山頂にはつつじヶ丘、ガーデンミュージアム比叡などがあります。

 

ケーブル八瀬駅近くの高野川のせせらぎ(2017年9月)

 

出町柳駅を起点とする叡山本線に乗車し、終点の八瀬比叡山口駅で降車します。八瀬比叡山口駅からは比叡山頂へアクセスできる他、京都バスで大原方面へと向かうこともできます。

 

高野川のせせらぎ(2017年9月)

 

比叡山頂へ向かうには、ここから叡山ケーブル・叡山ロープウェイを利用します。

 

高野川を渡る木橋(2017年9月)

 

八瀬比叡山口駅からケーブル八瀬駅までは徒歩約3分です。八瀬比叡山口駅を出て、高野川を渡ります。

 

高野川を渡る木橋(2017年9月)

 

坂道を登っていくとほどなくケーブル八瀬駅に到着します。

 

坂道を上るとケーブル駅に到着(2017年9月)

 

叡山ケーブル(京福電気鉄道鋼索線)は、ケーブル八瀬駅とケーブル比叡駅を結んでいます。その間カーブがあったり、急傾斜があったりとその総延長は1,300メートルとなり、所要時間は約9分です。また、その標高差561メートルは日本一となります。

 

ケーブル八瀬駅に停車する車両(2017年9月)

 

叡山ケーブルの歴史を紐解くと、京都側からの比叡山延暦寺への参詣の足として、1925年(大正14年)に京都電燈が開業し、1942年(昭和17年)に京福電気鉄道へと分離譲渡されています。

 

ケーブル八瀬駅を出発する車両(2017年9月)

 

現在のケーブル八瀬駅は当時は西塔橋駅、ケーブル比叡駅は当時は四明嶽駅として設置され、1965年(昭和40年)には西塔橋駅はケーブル八瀬遊園駅、四明嶽駅はケーブル比叡駅と改称されました。その後、2002年(平成14年)にはケーブル八瀬遊園駅をケーブル八瀬駅としています。

 

ケーブル八瀬駅(2017年9月)

 

叡山ケーブルケーブル比叡駅からは叡山ロープウェイに乗り継ぐことができます。叡山ロープウェイ京福電気鉄道が運営する索道路線であり、ロープ比叡駅と比叡山頂駅を結んでいます。このロープウェイは約3分間で山頂へと案内してくれます。ロープウェイももともとは京都電燈が1927年(昭和2年)、高祖谷~延暦寺間を結んだのがそのはじまりとなります。鋼索線と同じくロープウェイも1942年(昭和17年)に京福電気鉄道へ経営が移されています。

 

八瀬比叡山駅の周辺(2017年9月)

 

戦時中の1944年(昭和19年)にはロープウェイは撤去され、鋼索線も営業を休止しています。その後、鋼索線が1946年(昭和21年)に営業を再開し、1956年(昭和31年)にはロープウェイも現在のロープ比叡駅~比叡山頂駅を結ぶルートに変更されて復活を果たしています。

 

八瀬比叡山口駅に到着する叡山本線の車両(2017年9月)

 

八瀬比叡山口駅周辺は開業当時、京都電燈と地元が主体となって開発され、その駅名となった八瀬遊園という遊園地が1964年(昭和39年)に開業されました。

 

八瀬比叡山口駅の駅名標(2017年9月)

 

開業当初は年間20万人ほどの入場者がありましたが、その後低迷し、1983年(昭和58年)にはスポーツバレー京都として生まれ変わりました。若者向けのスポーツ遊園地となったものの良い結果が得ることができずに、1999年(平成11年)に森のゆうえんちとして再出発を果たします。

 

「八瀬駅」と表記される八瀬比叡山口駅の駅舎(2017年9月)

 

しかしながら、これも業績を好転させるには至らず、京福電気鉄道の業績悪化にともない、2001年(平成13年)に閉園となりました。

 

「八瀬駅」と表記される八瀬比叡山口駅の駅舎(2017年9月)

 

八瀬比叡山口駅は、ホームから線路まですべてを大きな屋根で覆うトレイン・シェッドのある駅です。トレイン・シェッドは利用客を雨風や直射日光から守ります。

 

八瀬比叡山口駅のトレイン・シェッド(2017年9月)

 

しかしながら、そうしたメリット以上に都市の景観や利用客の心理に与える影響が重視されるといいます。19世紀のヨーロッパや北アメリカの大都市では、その都市を象徴する存在としてトレイン・シェッドのある駅が建設されました。

 

大阪駅の巨大なトレイン・シェッド(2019年3月)

 

日本におけるトレイン・シェッドのある駅としては、大阪駅、二条駅、甲子園駅などがあります。

大阪駅の巨大なトレイン・シェッド(2019年3月)

 

八瀬比叡山口駅のつくりを見ると、列車の発着口には大きな開口部があり、骨組みは鉄骨で組み上げられ、上部側面には明り取りの窓が連続して設置されています。

 

八瀬比叡山口駅のトレイン・シェッド(2017年9月)

 

また、ホームは頭端式となっています。

 

頭端式のホーム(2017年9月)


鞍馬駅と駅前の大天狗

鞍馬駅鞍馬線の終着駅であり、叡山電鉄の起点となる出町柳駅を出発して30分ほどで到着します。

 

鞍馬駅駅名標(2017年9月)

 

鞍馬駅は1929年(昭和4年)、現在の場所から400メートルほど離れた場所に鞍馬電気鉄道の鞍馬仮駅として開業しました。その2か月後に鞍馬仮駅が廃止となり、現在の鞍馬駅が誕生しています。

 

鞍馬駅駅舎(2017年9月)

 

そして鞍馬駅は1942年(昭和17年)に会社合併により京福電気鉄道の所属となり、さらに1986年(昭和61年)には京福電気鉄道鞍馬線叡山電鉄に譲渡したため、その所属となりました。

 

貴船口駅から鞍馬駅へと向かう線路(2017年9月)

 

鞍馬駅近畿の駅百選に選定されています。その駅舎は入母屋(いりもや)造となっていて、屋根上部は左右二方向へ勾配をもち、屋根下部は前後にも勾配があり四方向へ勾配をもつような形となっています。

 

鞍馬駅駅舎正面(2017年9月)

鞍馬駅駅舎右側面(2017年9月)

 

鞍馬駅2番線の横、臨時の改札口の隣りには車輪の展示が見えます。

 

2番線の隣りに見える車輪(2017年9月)

 

そして、その車輪の隣りには小さな車両が保存展示されています。この車両はデナ21形のカットボディーですが、1929年(昭和4年)に叡山電鉄の前身である京都電燈と鞍馬電気鉄道が鞍馬線の開通に合わせて共通設計した車両です。

 

鞍馬駅デナ21形(2017年9月)

 

この車両は1930年(昭和5年)に運行を開始しています。

 

鞍馬駅デナ21形(2017年9月)

 

この車両は1994年(平成6年)まで217万キロ以上を走行し、全盛期には同じ車両が10両活躍しました。現在ここに残す展示車両がその最後の姿ということになります。

 

鞍馬駅デナ21形(2017年9月)

 

鞍馬駅前には、その長さが2.8メートルにもなる大きな鼻を持つ天狗のオブジェがあり、鞍馬を訪れる人々の写真撮影スポットともなっています。天狗は1994年(平成6年)に平安建都1200年を記念して作られたものであり、2002年(平成14年)から鞍馬駅に設置されています。

 

鞍馬駅前の大天狗(2017年9月)

 

2017年(平成29年)には、この巨大な天狗の鼻が折れてしまうという「事件」がありました。天狗は発泡スチロール製だそうで、京都市内に降りはじめた雪の重みにより折れてしまったと推定されています。しかし、天狗の鼻はすぐに「治療」されて、再び観光客の注目の的となっています。

 

鞍馬駅正面の駅名板(2017年9月)

 

2017年(平成29年)夏、叡山電鉄の鞍馬駅では「悠久の風~南部風鈴によせて~」という企画が実施されました。

 

待合室に飾り付けられた南部風鈴(2017年9月)

 

うちわ型1日乗車券の発売、風鈴電車「悠久の風」号の運行の他、圧巻は鞍馬駅のホームと待合室に約190個の南部風鈴を飾り付けるというものです。

 

待合室に飾り付けられた南部風鈴(2017年9月)

鞍馬駅ホームに飾り付けられた南部風鈴(2017年9月)

 

岩手県の南部風鈴の美しい音色は、暑い夏のひとときを涼しい気分にしてくれるとともに、都会の喧騒に疲れた気持ちを静かに癒してくれます。

 

鞍馬駅ホームに飾り付けられた南部風鈴(2017年9月)

 

ところで、なぜ鞍馬駅南部風鈴なのかというと、鞍馬といえば源義経ですが、源義経はこの地で修業を積んだ後、奥州平泉(岩手県)へと渡っています。

 

鞍馬駅ホームに飾り付けられた南部風鈴(2017年9月)

 

その縁により南部風鈴となるわけです。

 

鞍馬駅ホームに飾り付けられた南部風鈴(2017年9月)


鞍馬天狗と鞍馬山

保元の乱は1156年(保元元年)に起こります。後白河天皇と崇徳上皇の対立により争いとなりましたが、源義朝と平清盛が後白河天皇側につき、勝利を得ました。後白河天皇は二条天皇に譲位し、自らは後白河上皇となって院政を敷きました。しかし、保元の乱において、父・源為義や弟・源為朝までも敵に回して打ち破った源義朝は、自らの乱後の恩賞が平清盛に比して冷遇されていると感じていました。

 

鞍馬寺(2017年9月)

 

こうした背景から源氏と平氏の戦いへと発展し、平治の乱(1159年/平治元年)となります。平清盛は後白河上皇と二条天皇を守って源義朝らを破ります。父・源義朝を失った源頼朝は伊豆に流され、異母弟である「牛若丸」こと源義経は母と離れて鞍馬山にある寺に預けられて生活することになります。

 

鞍馬寺(2017年9月)

 

鞍馬天狗」では牛若丸が天狗に兵法や武術を学んでいたことが描かれています。源義経はこの鞍馬山でいつしかやってくるであろう平家討伐に備えていたのかもしれません。鞍馬寺への入り口は、鞍馬駅を出て駅前の道を左へ曲がると見えてきます。

 

鞍馬寺(2017年9月)

 

鞍馬寺の案内板には以下のようにあります。「鞍馬寺は鞍馬弘教の総本山で、宇宙の大霊(尊天)を本尊とする信仰の道場であり、山内一帯は尊天より活力をいただくべく心浄かに祈りを捧げる浄域である。宝亀元年(770)に鑑真和上の高弟鑑禎上人が毘沙門天を祀る草庵を結び、延暦15年(796)には藤原伊勢人が王城鎮護の寺として伽藍を建立、爾来、衆庶の信仰を集めて来た。豊かに恵まれた大自然の中に牛若丸ゆかりの地や「九十九折」などの名称古蹟が散在し「初寅大祭」「竹伐り会式」など年中行事も多く四季を通じて訪れる人々の心にやすらぎを与えている。」

 

鞍馬寺案内板(2017年9月)

 

鞍馬山鋼索鉄道は鞍馬寺への参拝者を輸送するために敷設されたケーブルカーであり、宗教法人鞍馬寺が運営する地方鉄道です。山門~多宝塔間を結んでおり、1957年(昭和32年)に鞍馬寺の境内に敷設されました。山門駅では1992年(平成4年)に建設された普明殿が駅舎となっており、多宝塔駅では開業当時に建設された多宝塔礼堂が駅舎となっています。開業当時は軌間762ミリのレールと車輪を使用した鉄道でしたが、1996年(平成8年)の改修により軌間800ミリのゴムタイヤ式の車両となりました。

 

鞍馬寺(2017年9月)


鞍馬・貴船日帰りきっぷ

叡山沿線の観光地を訪れるには鞍馬・貴船日帰りきっぷを利用すると便利です。

 

鞍馬・貴船日帰りきっぷ(2017年9月)

 

叡山電鉄2路線の乗り降りが自由である他、京都バスの京都市均一区間および大原・岩倉村松・岩倉実相院・市原・鞍馬温泉・貴船までの範囲の路線と、京都市バスが乗り降り自由となります。

 

鞍馬・貴船日帰りきっぷのチラシ(2017年9月)

 

また、京阪電気鉄道の東福寺~出町柳間も乗り降り自由となります。

 

鞍馬・貴船日帰りきっぷのチラシ(2017年9月)


出町柳駅

叡山本線の始発駅となる出町柳駅は、高野川と賀茂川が合流して鴨川となる鴨川デルタのすぐ近くにあります。京都の玄関口となる京都駅から出町柳駅へはバスを利用するか、京阪電気鉄道を利用しなければなりません。

 

出町柳駅駅名標(2016年12月)

 

東海道新幹線京都駅に着いたなら、JR奈良線に乗り換え、北へ向かうために少しばかり南へ下ります。京都駅から一つ目の駅となる東福寺駅で京阪電気鉄道に乗り換え、出町柳駅へ向けて北上します。今でいえば、こうした乗り換えは不便ということになりますが、それもまた旅の一つということになります。

 

出町柳駅改札口(2016年12月)


一乗寺駅

叡山電鉄の列車は起点となる出町柳駅を出発すると、小さな列車は住宅地の中をゆっくりと走り、しばらくすると一乗寺駅に到着します。

 

一乗寺駅駅名標(2016年12月)

 

この一乗寺駅を下車して東へ600メートルほど行くと、有名な詩仙堂があります。

 

一乗寺駅付近の風景(2016年12月)

 

詩仙堂は、江戸時代初期の文人であった石川丈山の山荘跡であり、創建されたのは1641年(寛永18年)のことです。石川丈山は徳川家康に仕えましたが、33歳で隠居して藤原惺窩について学びました。59歳のときに詩仙堂を創建し、その後亡くなるまで三十年にわたり、ここで人生を楽しんだといいます。石川丈山がつくった庭園は今でも美しく維持されています。

 

一乗寺駅付近の風景(2016年12月)


岩倉駅

岩倉駅は1928年(昭和3年)、鞍馬電気鉄道の駅として開業しました。

 

岩倉駅南口(2019年9月)

 

その後、京福電気鉄道の駅を経て、1986年(昭和61年)に叡山電鉄の駅となりました。岩倉駅からは少し離れていますが、実相院の最寄り駅となります。

 

岩倉駅北口(2019年9月)

 

実相院の開基は静基(じょうき)であり門跡寺院の一つであり、元は天台宗寺門派の単立寺院でした。その本尊は鎌倉時代に作られたといわれる木造立像の不動明王です。特に、室町時代から江戸時代にかけて、天台宗寺門派においては数少ない門跡寺院の随一とされていました。

 

岩倉駅を出発して鞍馬方面へ向かう電車(2019年9月)


木野駅

木野駅は1928年(昭和3年)、鞍馬電気鉄道の開通と同時に開業しました。

 

木野駅駅名標(2019年4月)

 

その後、京福電気鉄道の駅となり、1986年(昭和61年)に叡山電鉄の駅となりました。

 

出町柳方面行きホーム(2019年4月)

 

1990年(平成2年)には岩倉~二軒茶屋間が複線化されていますが、その際に数百メートルほど東へ移転されています。

 

鞍馬方面行きホーム(2019年4月)

 

現在では、相対式ホームをもつ2面2線の無人駅となっており、出町柳方面行きホームと鞍馬方面行きホームは駅の東側にある踏切で行き来するようになっています。

 

木野駅東側踏切(2019年4月)

木野駅周辺の風景(2019年4月)

木野駅ホーム(2019年4月)


二ノ瀬駅

二ノ瀬駅は1929年(昭和4年)、鞍馬電気鉄道の駅として開業しています。その後、1942年(昭和17年)に会社合併により京福電気鉄道の駅となり、1986年(昭和61年)に京福電気鉄道鞍馬線叡山電鉄に譲渡したため叡山電鉄の駅となりました。

 

二ノ瀬駅(2017年9月)

 

叡山本線鞍馬線宝ヶ池駅で分岐した後、鞍馬線が市原駅を過ぎて山の中へと進んでいくと紅葉のトンネルがあります。紅葉のトンネルを抜けると二ノ瀬駅に到着します。鞍馬線二ノ瀬駅では対向列車との待ち合わせをします。


貴船口駅

貴船神社は水の神を祀る全国2000社を数える水神の総本宮です。

 

貴船口駅付近の風景(2017年9月)

 

その創建については不詳ですが、677年(白鳳6年)にはすでに社殿造替の記録があり、日本でも屈指の古社と考えられます。

 

貴船口駅付近の風景(2017年9月)

 

貴船神社の三社詣は、貴船山の麓にある本宮、奥宮、結社を参ります。

 

貴船口駅付近の風景(2017年9月)

 

貴船神社の玄関口となるのは貴船口駅であり、貴船口駅は鞍馬川と貴船川とが分岐するあたりにあります。

 

貴船口駅(2017年9月)

 

貴船口駅は1929年(昭和4年)に鞍馬電気鉄道の駅として開業し、京福電気鉄道の駅を経て、叡山電鉄の駅となっています。

 

貴船口駅(2017年9月)

 

貴船口駅より徒歩で貴船神社へ行く場合は約2キロの道のりを歩くことになり、30分ほどかかります。

 

貴船口駅付近の風景(2017年9月)

 

貴船神社へバスでアクセスする場合には、貴船口駅前バス停より京都バス(33号系統)に乗車(約5分)し、貴船バス停で下車すると徒歩5分ほどになります。

 

貴船口駅付近の風景(2017年9月)

鞍馬方面より貴船口駅に到着する展望列車「きらら」(2017年9月)