都営大江戸線[東京都交通局]

投稿者: | 2021-05-15

都営大江戸線

大江戸線は東京都交通局が運行する地下鉄路線の一つであり、一般的に「都営大江戸線」と称されます。「都庁前~飯田橋~新御徒町~門前仲町~大門~六本木~都庁前」とめぐる環状部分と、都庁前から尻尾のように「都庁前~東中野~練馬~光が丘」と西へ延びる部分から構成され、山手線や大阪環状線のような環状運転ではなく「6の字型運転」(新宿西口—東新宿—若松河田—牛込柳町—牛込神楽坂—飯田橋—春日—本郷三丁目—上野御徒町—新御徒町—蔵前—両国—森下—清澄白河—門前仲町—月島—勝どき—築地市場—汐留—大門—赤羽橋—麻布十番—六本木—青山一丁目—国立競技場—代々木—新宿—都庁前—西新宿五丁目—中野坂上—東中野—中井—落合南長崎—新江古田—練馬—豊島園—練馬春日町—光が丘)となっています。

光が丘駅に停車する都営大江戸線の車両(2020年6月)

その歴史は1991年(平成3年)に光が丘~練馬間を開業したのを皮切りとして、1997年(平成7年)に練馬~新宿間、2000年(平成12年)に新宿~国立競技場間、さらに同年残りの部分がすべて開業して全通となっています。将来的な延伸構想もあり、光が丘より大泉学園を経由して東所沢へ到達し、武蔵野線とののりかえを可能にするという計画もあります。


飯田橋駅

大江戸線の飯田橋駅が開業したのは2000年(平成12年)であり、JR総武線,地下鉄東西線,地下鉄有楽町線,地下鉄南北線との乗換駅となりました。

飯田橋駅(2020年6月)

先に開通していたこれらの線路を避けるために、大江戸線の飯田橋駅は地下32.1メートルに設置されています。

飯田橋駅(2020年6月)


本郷三丁目駅

本郷三丁目駅(2024年2月)


春日駅

春日駅は2000年(平成12年)に開業していますが、副駅名として「文京シビックセンター前」が与えられています。「春日」の名は近隣の地名から採用されたものですが、その名は春日局(かすがのつぼね)の領地であったことに由来するといいます。春日局は江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母であった人物であり、その名は朝廷より賜ったものです。

春日駅(2020年11月)


新御徒町駅

新御徒町駅(2020年6月)


両国駅

1657年(明暦3年)に両国では「振袖火事」とよばれる大火がありましたが、これは江戸市中の過半を焼失するほどの大火事でした。その犠牲者を供養する回向院が、現在の両国橋近くに建ちます。それをきっかけとして、周辺地域の開拓が実施されて隅田川に「両国橋」が架けられましたが、その名は下総国と武蔵国の2つを結ぶことに由来します。両国橋の東西には小さな店が立ち並んで「江戸一の繁華街」となりました。ここから、両国の花火や回向院の勧進大相撲が誕生します。

道路脇にある両国橋周辺の地図(2020年6月)

隅田川沿いの旧安田庭園へは両国駅からアクセスできます。旧安田庭園は江戸時代に築造された潮入回遊式庭園として整備された大名庭園です。この地は明治時代初期、旧岡山藩藩主であった池田家の屋敷でしたが、1891年(明治24年)には後に安田財閥の基礎を築く安田善次郎がこの地を買い求めて安田邸となりました。その後、安田邸が東京市に寄付され、その一部に東京市公会堂(後の両国公会堂)が建設されることになります。

旧安田庭園(2019年10月)

旧安田庭園の中央には隅田川の水を引き入れた池が配されており、周囲には散策路が廻らされています。

潮入回遊式庭園(2019年10月)

隅田川から水を引き入れたのは、潮の干満によって池の水位を上下させ、それとともに見え隠れする岩や護岸、島などの景観変化を楽しむという技法がとられました。

池の亀(2019年10月)

この地は常陸笠間藩本庄氏の下屋敷があった場所であり、1701年(元禄4年)にこの地を拝領した本庄因幡守宗資が造ったとされる大名庭園です。

旧安田庭園案内図(2019年10月)

旧安田庭園のひっそりした空間が東京のビル群の間に存在するかと思うと、とても不思議な気分になります。

旧安田庭園と東京のビル群(2019年10月)

旧安田庭園内には刀剣博物館がありますが、これは2015年(平成27年)に解体された両国公会堂の跡地に建設されたものです。1926年(大正15年)に竣工した当初は「本所公会堂」という名称でしたが、1941年(昭和16年)に「両国公会堂」と改称しています。大きなドームが特徴的な建物であり、790席のホールを擁して講演会の他、コンサートなどが行われていました。老朽化により2001年(平成13年)に使用が停止され、2015年(平成27年)に解体されました。

旧両国公会堂の模型(2020年6月)

その跡地にある刀剣博物館は、日本刀文化の普及を目的として日本美術刀剣保存協会の付属施設としてつくられたものです。1968年(昭和43年)に開館した当初は代々木にありましたが、2018年(平成30年)にこの地に移転しました。


清澄白河駅

清澄白河駅(2021年6月)


門前仲町駅

門前仲町駅には東京メトロ東西線と都営大江戸線が乗り入れています。東西線の駅は1967年(昭和42年)に都営大江戸線より先に開業しています。

門前仲町駅(2022年3月)

門前仲町駅より歩いてすぐの場所に富岡八幡宮(通称「深川八幡宮」)があります。富岡八幡宮は1627年(寛永4年)、長盛法印が永代島に創祀したのがはじまりであり、同じ地にはその別当寺院として永代寺(1868年廃寺)も建立され、この辺りは門前町が形成されるようになり、その地名の由来となりました。

富岡八幡宮(2022年3月)

富岡八幡宮の境内には伊能忠敬像があります。伊能忠敬は50歳の頃、家督を長男に譲って富岡八幡宮の近く(現在の門前仲町1丁目)に隠宅を構えていました。

伊能忠敬像(2022年3月)

1800年(寛政12年)の56歳の頃、伊能忠敬は早朝に富岡八幡宮を参拝した後、蝦夷地測量(第一次測量)の旅に出かけました。伊能忠敬は74歳で人生を終えるまで、10回の測量の旅に出かけていますが、第一次測量の旅から第八次測量の旅まで8回に渡り、その出発の際、必ず富岡八幡宮を参拝して旅の無事を祈願しました。

富岡八幡宮(2022年3月)

また、富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地であり、歴代大関を顕彰した大関力士碑が建てられています。これは明治時代に歴代横綱の名を刻んだ横綱力士碑に次いで建てられたものです。

大関力士碑(2022年3月)

この富岡八幡宮から永代通りを東へ歩き、南へ下って東富橋を渡った場所には松平定信海荘跡(はまやしきあと)があります。

東富橋(2022年3月)

松平定信は寛政の改革を断行したことにより有名な江戸時代の人ですが、海荘は「深川海荘(ふかがわはまやしき)」ともよばれた松平定信の抱屋敷(かかえやしき)です。抱屋敷とは江戸幕府から拝領した屋敷ではなく私邸であり、松平定信は隠居後の1816年(文化13年)にこれを手に入れています。

松平定信海荘跡(2022年3月)

松平定信は政治家・学者としてだけではなく造園家としても知られており、浴恩園(よくおんえん/築地)、六園(りくえん/大塚)、三郭四園(さんかくしえん/白河=現在の福島県)、南湖公園(なんここうえん/白河)といった庭園を造りました。こうした庭園の趣向を取り入れて海荘にも庭園を築きました。園内には東西に2つの池があり、池を掘った際の土で築山を築きました。


東中野駅

東中野駅は1997年(平成9年)に設置され、JR線との乗換駅となりました。JR東中野駅は、甲武鉄道が1906年(明治39年)に「柏木(かしわぎ)駅」として開業したものであり、1917年(大正6年)に「東中野駅」と改称されています。

東中野駅(2020年6月)


練馬駅

もともと練馬駅は1915年(大正4年)、武蔵野鉄道の駅として開業したものです。都営大江戸線の駅としては1991年(平成3年)に光が丘~練馬間が開業した際に設置されています。

練馬駅(2020年6月)


光が丘駅

光が丘駅は1991年(平成3年)、現在の都営大江戸線の駅として誕生しました。

光が丘駅(2020年6月)

光が丘駅は練馬区にある駅ですが、光が丘駅周辺は昭和初期まで豊かな水田が広がる地域でした。1943年(昭和18年)になると成増飛行場が完成し、豊かな水田は姿を消しました。終戦後には米軍施設へと変わり、その後1973年(昭和48年)に日本へと返還されます。

秋の陽公園内の様子(2019年12月)

光が丘駅から徒歩15分ほどの場所にある秋の陽公園は1988年(昭和63年)に開園し、その敷地面積は18,200平米になります。公園内では、かつての美しい田園風景を再現し、水田やため池、田柄上水をイメージしたせせらぎを整備しています。

秋の陽公園(2019年12月)

秋の陽公園はの入口には長屋門をイメージした門が建てられています。

長屋門風の建築物(2019年12月)